養蚕稼ぎ

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 次にひとつの事例として回田町の現在八十代の農家の方の子ども時代から壮年時代にかけての話をもとに以下示していく。
 昭和十年代、彼がまだ少年時代こと、所有地の広さは、屋敷地と屋敷の前の畑を合わせると一町七反、そのうち耕作面積は一町五反あった。その畑の一割にさつまいもや麦を作付け、九割が桑畑であった。家では年に三回、春蚕、初秋蚕、晩秋蚕を飼育していた。前述したが養蚕は春蚕が一番収量が大きい。彼の家では春蚕は三十グラムを掃きたて、それで四月下旬から始まる春蚕の飼育で、収繭量は目方で二百キロであった。次の七月から始まる初秋蚕は春蚕と同じく三十グラムの種を掃きたてるが、マユの収量は春蚕より少なく百六十キロくらいであった。晩秋蚕は八月から始まり、終わりは九月の末から十月にかけてになるが、これは初秋蚕よりも更に少なく同じ三十グラムの種を掃きたてても百キロくらいの収繭量だったという。同じ重さのマユであっても春蚕のマユの質に比べると、初秋産のマユの質は落ち、晩秋蚕になるとさらに落ちるという。桑の葉は、五月の春蚕の時期のものが一番勢いも量もあり、飼育する春蚕の桑への食いつきは初秋蚕、晩秋蚕よりも良く、一個一個のマユが充実していて収量も当然多くなるものだという。春蚕は畑で桑の木を枝ごと切って持ってくる。春蚕に使うために切った桑の木の枝から芽吹いた桑葉が夏蚕の餌になるが、夏蚕は一枚一枚桑摘み爪で摘んで夏蚕に食べさせることになる。桑の葉を摘む際、桑の葉は枝の先の方を残しておくと、そこからまた秋には葉が茂った。春蚕一匹の重さの七割方が秋蚕、晩秋蚕になる。目方の少ないマユは仲買の付け値も安いのだが、畑で野菜を作るよりは初秋蚕、晩秋蚕のマユ代の方が収入がよく、野菜が換金作物として稼ぎになったのはずっと後の事になるという。この家は蚕のマユは小金井の鴨下製糸に出していた。大きな籠に布袋を入れ、その中に蚕のマユを入れてリヤカーに積み、鴨下製糸まで何回も引いていったのだが、その大きなひと籠には約八十六キロくらい入ったという。