お茶は父親の代からよく売れたという。国分寺の駅前にお茶金というお茶問屋があって、そこに茶箱をリヤカーに積み引いていくのだが、店の者は彼の作った茶葉を茶箱からつまんでみて、一言「ちょっと違うぞ」とつぶやいていた。これまでの彼の家から買った茶の香りとは違うという。父親のそれと彼の作ったものの違いを一目で言い当てたが、喜んで買ってくれた。彼の家では、作ったお茶は内側にトタン張りの茶箱に入れて出荷したのだが、そうした付加価値をつけた出荷法も、高値がついた理由のひとつだった。そうした買い手のひとことはうれしいものだったが、やはり作る作業は嫌だったという。こうした生産技術は親から手取り足取りで教わるわけではない。ある時、茶を揉んでおけといわれて、一人放っておかれる。両親は畑仕事である。大竈に薪が焚かれてセイロの中の茶が蒸されている。なんとか親の仕事を思い返しながら、必死で作業をしたが、作業を身につけるとはこうしたものであった。茶の木の品種は何種類かあり、感触としては重たい葉っぱになるタイプと大振りの葉っぱになるタイプとがあったという。
図2-7 茶葉の選別 飯山達雄氏撮影・寄贈 小平市立図書館所蔵(1957年頃) |