し尿の汲み取りは彼の青年時代、昭和二十五年から十年間ほど農業のかたわら稼いだ仕事である。彼の場合は、牛車に肥桶(約二斗=三十八リットル=入り)を積んでし尿の汲み取りに回った。肥桶は営業用に特別に作らせ、常時三十本から四十本は自宅に用意していた。荷車には肥桶が二十四本積めた。その荷車を牛に引かせ武蔵野方面を回った。行く家は決まっていて、西久保周辺で、家を朝八時ころ出ると九時半頃着き、その地域の家々のし尿を汲み取って一まわりするのに一時間半くらいかかった。帰途に向かうのは十一時過ぎであった。
牛は足が遅いのでし尿汲みは一日一回だけだった。馬車を引かせて汲み取る人の中には一日二回通ったという人もいたが、これはきつい仕事になるという。当時のことで舗装されていない砂利道を引いていくため行き来にも時間がかかった。汲み取る家にはこちらからは何も渡さず、相手からご苦労様でした、ありがとうございます、と言われて、それですんだ。汲み取った下肥は、小平の農家に肥桶一本分が十七銭位で売れた。