実家の様々な稼ぎ

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 街並みが草葺きの民家から近代的な建物に変容していく様は農家の生産形態が変容していく様をそのまま表している。以下は大正十三年(一九二四)生まれの女性の聞書きになる。
 彼女の実家は青梅街道沿いの小川にある。養蚕農家の一方で、自動車の運搬業-小平には、当時彼女の家と他に二軒位しか自動車屋はなかった-をしており、また手広く竹細工ものも作って暮らしを立てていた。それだけに家の者は忙しく働き、彼女の母親は毎日三時間くらいしか寝なかったという。とはいえ、当時はどこの農家も忙しさには変わりがなかったが。
 実家が自動車の運搬業を始めたのは昭和六年、彼女の祖父の代のことで、当時のお金で二千円を借りて、まず初めにドイツ製のダッジという車を買い、次にトヨタの自動車を買って、車二台で運搬業を始めた。当時の自動車はラジエーターにお湯を入れなければエンジンがかからず、そのため母親の一日は朝二時か三時に起きて釜に湯を沸かすことから始まった。実家では親子三代が一緒に住んでいた。祖父母に両親、そして子どもが四人、叔父夫婦で、その叔父夫婦の五人の子ども、それに女中一人、自動車を使っていたので住込みの運転手一人にその助手が二人。これで十九名であるが、このほかに通いの作代がいた。また通いの運転手の助手、常時ではないが農家の人も頼んだので、同家には二十二から二十三名の人がいたことになる。
 叔母たちは毎朝三升(五・四リットル)炊きの釜で、ご飯は白米を炊いていた。麦ごはんが多いなかでめずらしかったと思う。食べるものは家の者も奉公人も皆同じものであった。また立ち寄った人が用事で食事時にかかれば食卓につかせる。母親は少々食べる人の数が増えても構わないという気風の良さがあり、弁が切れ、また来客を居心地良くさせる技量をもっていたからか、年中商いや用事で人の出入りの多い家であったという。
 さて、二台の車は父親と父親の弟が運転し、それに助手がついた。自動車屋を始めた頃の主な運搬物は、農家から頼まれた野菜や肥料だった。さつまいもなどは神田市場や築地市場、新宿の大久保の市場に運んだ。市場に運ぶと、仕切りという売り上げ金を頼まれて預かって戻る。その中から運送代を差し引いて、残りのお金を頼まれた農家に持っていくのだが、それは娘時代に彼女が親からよく頼まれた仕事だった。
 スイカがよく作られた時代は、小平の、特に小川町、仲町の農家からよく運搬を頼まれ、出荷時期には前述の市場に毎日のように運んでいた。スイカは荷台に枠を作って安定させて運んだ。また、じゃがいもの仲買人からは、バナナ籠に入れたじゃがいもの運搬を頼まれ、横浜港まで運んだこともあった。バナナ籠は輸入品のバナナをいれた後の使い古しの籠であった。また肥料の運搬の依頼も多かったのだが、中にはペンギンの糞を熱川(あたがわ)(静岡県伊豆)のゴルフ場まで頼まれて運搬したという。その糞はどこから入手したものかわからないが、ゴルフ場の芝の肥料だったという。
 昭和七、八年頃は不景気な時代であったから親戚中の男が、仕事をもとめてやって来た。自動車の助手、荷の積み下ろしに人手の必要な仕事はあった。自動車での運搬業のほかに、養蚕も年に三回、春蚕、初秋蚕、晩秋蚕を飼育したが、力を入れたのは春蚕である。いわゆる「百貫取り」ができる家であった。稚蚕期を過ぎると、-この家では「雨じゃらし」と言ったが-父親がはじめて外飼いをした。蚕は上へ上へあがる習性がある。桑は普通もいだ葉をやるのだが、切った枝ごと蚕に食べさせる。桑の枝を次々と積み上げて食べさせるので、その枝はかなりの高さに積み上がっていた。そして蚕が透き通りマユを作り始める上簇時には、ヒキ拾いに三日も四日も近所の人が大勢手伝いに来てくれた。その時は来てくれた人皆に御馳走や茶菓子を振舞った。
 隠居した祖父は祖母と隣の隠居屋に住み、そこでは小さな店も商っていた。隠居したとはいえ養蚕や農業、そして竹細工をして働いた。また祖父は、「山切(やまき)り」といって、幾人か共同でひとつのヤマ(雑木林)を買って薪にすることもやっていて、それも売っていたらしい。魚桶をかついで魚を売る行商人から、ひと桶全部買って、みんなに配ったりしていたというから、隠居しても祖父はいろんな稼ぎで収入があったのだと思う、と彼女は振り返った。母親も叔父の嫁である叔母も忙しかった。叔母は家の仕事に、大勢の家族の洗濯もあり、洗濯機がなかったからカワバタでタライで手洗いである。いくら洗っても減らない洗濯物と格闘の日々であった。
 そうした多彩な稼ぎの中で彼女は神田にある女学校に通学させてもらった。そこでは裁縫や日常生活の、お嫁に行ってもこまらない程度のことを教わったという。彼女の弟はこの時代に大学に通っていた。

図2-9
かつての畑は今は梨。「長十郎」の幹に「幸水」や「新高」を接ぎ木 上水南町(2009.10)