茶垣

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 強風に舞う武蔵野の軽い土が飛ばないように防風の工夫は今も見られる。青梅街道沿いの短冊状に地割された細長い畑に、東西に茶垣が植えられた。およそ一反歩を二つに仕切るように五畝ごとに区切って茶垣が植えられ、その茶垣をカザキリとも称した。この防風垣の茶の栽培も江戸時代から行われ、生産が増加したのは明治十年(一八七七)ころで、小平の茶は狭山茶として売り出された。その茶垣は新しく植え替えるのではなく、ヤマの雑木と同じように何年かに一回、根元に近い部分を伐りとって新芽を出させ木を若返らせてきた。