草葺きの家

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 ここでは回田町の草葺きの民家における生活の場がどのようなものであったのかみていきたい。この草葺き民家は二百七十年ほど前、東村山からこの地に定住する際に、小金井神社(小金井市)近くにあった空き家を貰(もら)い受け、そこから曳き家して運んだと伝えられる。この草葺きの家の人は昭和五十三年までこの民家で暮らし、その後、この草葺きの民家は小平市に寄贈され、現在は小平ふるさと村に移築保存されている。その民家は平成元年、小平市の部材調査にもとづき考察された江戸時代の間取りを復元した形となっている。移築前まで暮らしていた時のこの家の間取りとは違ったもので、ここでは昭和二年この家で生まれ移築するまで住み続けたこの家の持ち主の方からうかがった先代からの伝承も含めた草葺き民家の間取りと生活空間のありさまである。
図3-19
図3-19
回田の草葺き民家の南面(『小平ふるさと村 移築復元修復工事の記録』小平市教育委員会 1992年刊より)

図3-20
図3-20
図3-19の民家の東側より(図3-19に同じ)

 まず、同家の草葺きの旧宅の規模と構造の概略を『小平ふるさと村 移築復元修復工事の記録』より述べる。家の棟は東西に延び、入口は南に向いて建てられていた。屋敷建坪は約四十坪、茅葺き屋根は入母屋造りで、屋根の棟までの高さは地面から約六・八メートル、長さは十八・五メートル、奥行き八・二メートルであった。構造材の柱は、大黒柱はケヤキ材、そのほかの柱は杉材が多かった。留め釘は和鉄を叩いて鍛造した断面が四角い釘である。家の上部の小屋組の梁や桁は、手斧(ちょうな)、斧ではつった材で組まれていた。柱は三十七か所の礎石の上にのっていた。この建物は大正十二年(一九二三)におこった関東大震災にも壊れることなく持ちこたえてきた。