空間の性格

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図3-23
図3-23
明治から昭和53年までの間取り図(居住者の原図より加筆作成)
(※ザシキに畳を敷くようになったのは昭和17、8年頃)

 図3-23は同家の戸主が描いてくれた図に聞書きを追加して作成した明治から昭和五十三年までの同家の間取り図である。ここに両親と七人兄弟の九人の家族で暮らしていた。
 玄関は二重に作られ、まず大きな大戸(おおど)という引き戸があり、そこに出入り口のトンボ口がとり付けられていた。トンボ口を開けると、向かって真正面にイロリがあり、その真ん中に自在鍵が吊るされやかんがかかっていた。イロリはドマに張り出して作られた板敷の間のオカッテに切られている。ドマと板敷の間のオカッテ空間と合わせた空間をダイドコロと呼んでいた。ドマ空間だけでも十二畳分の広さはある。間取りは、南側にザシキとオクザシキ(単にザシキともいう)があり、北側にザシキとヘヤが並ぶ四つ間取りである。

図3-24
大戸、トンボ口(玄関)附近(図3-19に同じ)


 この家の中は大きく分けると三つの機能がある。玄関に立ち、向かって一番東側のドマと板敷き空間が貯蔵用の倉庫空間、北側には漬物桶や梅干し甕、味噌樽などがあり、南側の板敷間は収穫した麦などを収納する穀蔵の機能があった。家の真ん中部分がオカッテとドマも含めたダイドコロ空間、そしてその西がザシキ空間である(図3-25・26)。それらの空間の持つ機能、性格は、年間の生産サイクルに合わせて変容していくものであった。
図3-25
図3-25
通常の家の中の空間の機能

図3-26
図3-26
オカッテ、ダイドコロ空間の機能