イロリのある空間

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 陽が落ちれば、家の外は月明かりのみで暗闇の世界であった。家のなかに灯されたものはこのイロリのある部屋にのみ、ランプをひとつ点けていた。母親がお勝手仕事で東のドマの白菜や漬物、キュウリの味噌漬けなどを取りにいく時はローソクを点けていった。オカッテに切られたイロリに焚かれた薪の赤々とした火がまた灯りであり、暖をとる唯一のものであった。
 昭和十三年、家のなかの空間がこれまでとは全く別の世界になった。この家に電灯が灯ったのである。電灯は裸電球が一灯だけ、オカッテ空間の中心のイロリの自在鍵の上に灯された。初めてついた電球の明るさは十六燭だった。十六燭という光源は今日ではそれほど明るいとは思えないが、初めて電灯が灯った時の明るさは、それまでのランプの明るさに比べると、けた違いに明るくまぶしいほどであったという。これまでにない明るさに子どもたちは家の中で大いにはしゃいだ。家の中で、たった一つの部屋の一灯だけの裸電球だったが、家じゅうが明るくなったようであった。次の年に、蚕を飼うドマ側のザシキにもう一灯、二十ワットほどの電球をつけた。
 イロリは一年中、火が絶えることはなかった。ご飯は羽釜をヘッツイにかけて炊き、イロリには夏でも毎日自在鍵に吊るした鍋でおかずや汁物を煮炊きし、茶も沸かした。イロリの五徳の上にホーロクを置いて炒ることもした。いわゆる煮たり焼いたりの作業はこの二つでまかない、燃料はもっぱら薪であった。イロリにくべる薪類も、この家の屋敷を囲むキモリの木々で充分間に合った。この草葺きの民家の暮らしは市に寄贈される昭和五十四年まで燃料は薪で、ガスは引いていなかった。
 イロリは、ドマから三十センチほど上がった板間を六十センチほど掘り下げて作られていた。普段、お茶を飲みにみんなが集まり座り込むのはイロリの周りである。また、寒い日、畑仕事を終えて帰ってくると、まずはドマから板間に泥足を浮かせてイロリで冷たい泥足をあぶって温めた。畑仕事は寒い冬でも裸足の作業であった。
 イロリの周りに座る場所にはゴザが敷いてあり、座る場所は決まっていた。その家の主人が座るのはドマから一番遠い場所でヨコザという。ここだけに座布団が敷かれており、間違っても子どもたちが座ってはいけない場所だった。来客の座る場所は入口に近いところでキャクザという。その真向いの流しに近い側をチャノミザという。そしてヨコザの反対側の上がり口に近いイロリの燃し木の入った木箱のそばをキジリといい、薪を補充する役の場所である。キジリはヘッツイと木箱の間にあって約半間ほどの広さがあり、ここを上がり降りしていた。