オカッテの奥に流しがあり、その横に一日分の使い量の水を用水から汲みいれた水瓶が置いてあった。深さ七十センチ、直径六十~七十センチでトタンの蓋をしていた。流しの横の食器棚には洗った茶わんが伏せてあり、家族の使う食器はここに全部ならんでいた。戸棚には梅干しや煮つけものが入れてあり、ハエよけに戸が閉まるようになっていた。食事をする場は食器棚の前の板間であった。真ん中にご飯釜を置き、家族八人がその周りに車座になって食べる。食卓はない。食事は膳箱を使う家もあったが、同家では使わず、そして父親だけが特別で、三十センチ四方の膳(会席膳)で食べていた。他の家族のものはめいめいに麦飯用の茶碗と味噌汁用の茶碗に箸を食器棚から持ってきて食べた。流しは解体する五、六年前にトタンに張りかえた。