貯蔵空間-馬屋から漬物・味噌空間へ-

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 居宅の東にあるドマ、板敷空間は涼しく暗い貯蔵空間である。このドマ部分は両腕で抱えるほどの大きな味噌の仕込み樽や醤油の仕込み樽が置かれ、かつては味噌の仕込みも、醤油仕込みも行っていた。醤油ダルに仕込んだものを業者に頼み絞ってもらい醤油にした。その他に糠味噌の樽も二つ、そのほかにたくあん、白菜、キュウリの味噌漬けなど様々な物を漬けた漬物桶、梅干し漬けの甕類などが貯蔵されていた。一方板敷部分は床から三十センチほど上がっており、麦、大豆などの穀類や保存食品類を収納していた。小平の農家では住まいとは別棟に味噌蔵を建てている家もあったが、同家では、味噌貯蔵は居宅のドマ空間である。
 こうした味噌、醤油、漬物などの貯蔵は暗いところがよいとされ、昼間でもろうそくを点けないと真っ暗で探し物ができなかった。ここに母親は梅干しを入れ栓をした焼酎甕(がめ)を転がしておいた。糠味噌の漬物をとりにいく際には、邪魔になるから甕をける、甕は転がる。梅干しの甕はそうしてわざと邪魔なところに置いておくものだと母親が言っていた。一日に何十回と転がしたほうが梅干しは美味しくなるという。このドマ空間の東の壁際にお茶作りの作りつけのホイロが三台あったが、もっぱら移動式ホイロ一台を使って行った。
 ドマ空間の東側が漬物、味噌空間として使われたのは明治の中期以降のことになる。彼が物心ついた頃には馬を飼ってはいなかったが、父親から聞いた話では、昔はこのドマ空間に馬も飼っていた。馬屋は一段高くなっており、馬は西を向いてつながれており、カッテ・ドマ空間の方を向いていた。人間の生活を見て過ごし、また、イロリのヨコザに座る主人は常に馬の様子を見ることができたという。