屋敷まわりには便所、物置、薪小屋、堆肥舎(たいひしゃ)、豚小屋があった(図3-21)。豚小屋は八棟あって一棟に二頭ずつ入れていた。売り物にならないさつまいもの尻尾、シイナ(未成熟)の麦の穂が豚のエサになった。豚を太らせて売りもした。便所は内と外の二か所にあり、日常的には堆肥舎の角にあった外便所が使われた。堆肥舎は昭和十三、四年頃、三鷹市大沢の人に頼んで新しく作った。広さは十五坪で費用は百五十円であった。四隅に柱があり屋根は檜皮葺きだった。基礎はコンクリート製で、八十センチの腰壁で三面を囲い、吹き抜けになっていた。ここに落ち葉を入れ糠を混ぜて発酵させ畑の肥料に使う。堆肥舎の裏側には肥溜めを作った。そのそばに肥桶を置いたが、し尿汲みの営業用で常時三十本から四十本くらいはあった。豚小屋は堆肥舎の軒下に作ってあり、豚の糞尿が肥溜めに流れ込むように配し発酵させて使用している。オカッテの流しの排水は竹樋を通して外の排水溝に落ち、豚小屋の下に作ったコンクリート製の肥溜めに集まるように掘り回されていた。排水も無駄に捨てなかったのである。ニワトリは八~十羽飼っていたが、放し飼いであった。鶏小屋は作っていなかった。ニワトリは自由にあちこち歩き回り、卵も庭のあちこちの隅に産んでおり、それらを探し回るのが子どもの仕事だった。