図3-21に示した内墓に祀られた同家の祖先は墓石から二百年くらい前までわかり、墓碑銘から没年の年齢をみると最高齢は六十二歳であった。昭和初期の頃に亡くなった年齢をみると二歳、三歳と、幼い子どもが多かった。同じ年に子どもがあいついで亡くなり、二、三回葬式を出したかと思えば、同じ年の八月か九月に今度は大人が死に葬式を出していた。この内墓に埋葬された最後の家族は五十五年前に亡くなった母親である。深さは二メートルほど掘って埋葬された。昔の座棺に入れて土葬した時代は、桶自体の丈があるのでさらに深く掘ったという。この桶型の座棺では亡くなった人を座った状態で納め、座棺は力持ちの大きな男が、一人で背負って墓地まで運んだ。後に棺箱の角型の寝棺になった。昭和三十七年の小平市制施行後は火葬となった。