昭和三十年代後半以降の草葺きの農家の改築はドマ空間から始まる。青梅街道沿いのある草葺き民家の家では、昭和五十四年に息子の結婚を機に、草葺きの家の下屋を出して広さ三間×二間の十畳分の、ダイニング形式の食堂を兼ねたダイドコロをひと部屋付け足し、嫁をむかえた。また多くの草葺き民家の改築は、かつて広かったドマ空間をガラス戸で区切り、入口空間とオカッテ空間に区分し、ダイドコロと風呂場が改築される。これによって家族の生活空間が来客によって乱されずにすむようになった。日常の接客は入ったすぐのドマですました。ドマの入口部分に椅子と座卓をおき、そうでない家ではまたドマとザシキとの境のアガリハナに腰をかけて対応した。講やむらうちの寄合いや祝儀、不祝儀のための空間としての重要な役を持っていたザシキ空間は、その役目が外の会場に託されるようになって、居住専用の空間として区切られ部屋数を増やし、各部屋に押入れ等の収納空間をつけていく。そして、農家が家を新築すると、接客の場として外から直かに土足で入れる部屋空間が作られている。かつての草葺き家の時代にあったドマ空間の性格の延長がそこにはある。
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図3-34 草葺き民家のダイドコロ 飯山達雄氏撮影・寄贈 小平市立図書館所蔵(1957年頃) |
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図3-35 昭和30年代の改築されたオカッテ 飯山達雄氏撮影・寄贈 小平市立図書館所蔵(1957年頃) |