着物の仕立てと着物揃え

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 和服の着用は前身頃(まえみごろ)を体に合わせて巻き、帯は身長に合わせて身頃の丈をたくしあげて結ぶので、多少の体型の違いを越えて着こなせた。それが古着を流通させたのだが、小平では古着の購入の話は聞けなかった。和服は親から子どもへ、また、形見分けにもされ、代を越えて着られたものであった。
 かつて機織り機をもつ家は多かった。そして小平には東大和などの機織りが盛んなところから嫁いで来た人も少なくなかったという。機がある家では冬に、蚕の屑(くず)マユや真綿(まわた)を紡いで機を織り袷(あわせ)や半天(はんてん)を縫った。真綿は暖かく、そのまま背中当ての形にして寒い日に背中に当てた。一枚の着物を織り上げるのに三、四か月はかかったという。母親は今度は誰々のものを作ってあげるからと、順番を決めて織ったもので、子どもたちはそれを楽しみに待った。正月に新しい着物を買い揃えるなどできなかった家の話も多い。かつては子どもの数が多く、一家で七、八人というのはふつうであったから、子どもの数だけ着物を用意するのは、かなりの手間と時間を要した。毎日、ランプの明かりで夜なべ仕事でなされたものである。子どもに潤沢に着物を着させるということは、食べさせることよりも大変だったという。兄弟がいれば当然子どもは上からのおさがりである。最低でも普段着二枚、よそ行き着二枚はあったという。
 衣類は七つの祝いなどの通過儀礼に応じて新調する機会をもつが、最も大きいのは女性の結婚前の着物揃えである。女性は嫁ぐ前に自分で縫って揃えもし、結婚が決まると式までに親戚や親から祝い品として反物が贈られ、かなりの枚数を揃えている例が多い。また嫁入り道具のひとつとして白生地の布も何反か持って嫁いだ。そうして一生分の着物を揃えて嫁いだ話も聞く。自分で縫った晴着は嫁入りに着て以来、祝儀に呼ばれる度に着た。普段着も洗い張りをして縫い直し年齢に応じて染め替えすれば一生着ることができた。昭和二年生まれのある女性は昭和十九年に結婚したが、洋服が流行(はや)り出した頃で、和服、洋服の二重生活になり、箪笥(たんす)三棹(さお)の中には和洋の衣類をびっしり入れて嫁ぎ、布団のセットも持参した。その嫁ぎ先では、近所の人たちに持参した着物や被り物、履き物の一切を披露する慣習があった。
図4-1
図4-1
七つの祝いの記念写真・戦前 個人所蔵(1933、1934年頃)

図4-2
図4-2
結婚式の記念写真。戦前 個人所蔵(年月不明)

図4-3
図4-3
結婚衣装。戦前の留袖 個人所蔵