野良着

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 昭和の初年の頃の農作業着は、男性は上はシャツ、下は紺の股引をはいていた。また、上は半天を着て腰を帯、ベルトで締めて、下は前後に腰ひもがついた股引に脚はゲートルを巻いて地下足袋であった。頭は帽子を被る人もいたが、手拭が一般的で夏は鉢巻にし冬は頬(ほ)っ被(かむ)りをした。女性の野良着についてみると、ある明治生まれの女性は筒袖の長着物を着用し、腰のところでたくし上げてひざ下までの丈にし、腰紐で結んだ上から腰帯を巻いたという。脚は脚絆(きゃはん)を履き、腕は手甲をつけ、足は竹皮ゾウリを履いていた。昭和のはじめ頃には、筒袖の着物に、下は腰紐で結ぶたっつけ(袴の一種)を履いた。これは一見はモンペと似ているがそれとは違う。モンペは戦時中から履かれるようになった。野良着や普段着は木綿である。着古すと野良着におろしていく。
 子ども学校から帰ると野良着に着がえて野良仕事の手伝いである。総じて現在ほど洗濯の頻度はなく、汗と泥だらけの野良着が汚れたからといって洗うということはあまりなかったという。
図4-6
図4-6
帽子を被り、上衣は木綿の半天、腰でベルトを締め、板着はシャツ。下はズボンに脚にゲートルを巻き、足は多分地下足袋であろう。男性の野良着はこうした着合わせが一般的だったという。田中次雄『歩んできた道』1994年刊より転載(1932年頃)