登校の着物と履き物

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 昭和十年代頃まで小学校の通学用には男の子は縞(しま)か絣(かすり)の着物を着て帯を締めた。絣は上等な着物だったが、木綿糸や布を買えない家の場合は養蚕の屑マユで織った自家製の着物であった。下はシャツに股引である。これだけでは冬は寒かった。通学用に鞄をもつのだが、つましい家の子は教科書は風呂敷に包んで通学した。履き物はゾウリか下駄であった。洋服にズック靴をはく子はきわめて少なく、いわゆる「勤め人」の子どもであった。長靴のない子は雪の降る日は、家から学校まで裸足で走って行ったものだった。雪の日は下駄を履いて歩けない。ゾウリも履いて学校に着いたころには雪が滲(し)みてぐしゃぐしゃになるため、裸足で行くしかなかった。ゾウリをふところにつっこんで走っていき、学校に着くと雑巾で足を拭きゾウリをはくと暖かかった。冬でも素足で過ごしたという。男性教師の洋服の着用は早く、明治期にすでに始まっていたが、女性教師の洋服の着用はずっと後になる。
図4-12図4-12
図4-12 学校の記念写真にみる着物の分析(小平市立小平第二小学校所蔵写真より 明治40年(1907)のもの)
 記念写真を撮るのは特別の日であり、その日には、でき得る限りのよそ行き着で登校した。この写真に写っているのは高学年の生徒であろう。女子の頭髪は束髪に近い髪型で、男子は坊主頭、男性の先生は短い三分刈り位か、女性の先生は束髪である。また、ここでは女子の場合は長着の着物に上は羽織りを着衣、そして一人のみが長着、ほかの多くが行燈袴(あんどんばかま)を着衣している。そして興味深いのは、スカートを思わせるお揃いのフリルのついたエプロンをしている2人の女子である。明治期の小学校の記念写真に女子が前掛けをして写っている例が少なくない。
 ムシロの上での写真撮影のため、足もとは足袋である。
図中の番号に即して頭髪については省略して着衣の特色を記す。
①~②女子 長着に羽織、下は行燈袴 ③女子 縞の長着、上は羽織り ④~⑤女子 長着に羽織、フリルのついたエプロン ⑥~⑨女子 縞の長着に羽織、下は行燈袴 ⑩~⑪男子 下にシャツ、長着に帯、絣の半天 ⑫男の先生 絣の長着、羽織、袴 ⑬男の先生 ワイシャツに背広の上下、蝶ネクタイ ⑭~⑰男子 長着に半天 ⑱男子 絣の長着に半天 ⑲男子 下にシャツ、長着に帯、半天 ⑳男子 長着に帯、半天 21男子 絣の長着、半天 22~24男子 長着に帯、羽織 25男子 下にシャツ、長着に帯、羽織 26男子 長着に帯、羽織 27男子 学生帽 下にシャツ、長着に帯、羽織 28男子 長着に帯、羽織 29女の先生 長着に羽織 30男子 長着に羽織 31学生帽 絣の長着に羽織 32~33男子 縞の長着に羽織 34男の先生 ワイシャツに背広、蝶ネクタイ

図4-13図4-13
図4-13 小学校の記念写真にみる着物の分析(個人所蔵 昭和8年の第二小学校入学生)(図中の丸数字の着物、足元等の特色。写真からわかる範囲で記している。)
 頭髪は女の子はオカッパ、男の子は坊主頭 男性の先生は横分けである。着用しているのは、先生と、生徒2名のみが洋服で、あとは和服である。
①~②女子 大柄模様の長半天に下は大柄模様の着物に半巾帯、下には股引か、足は足袋に下駄 ③女子 セーラー服にスカート、長靴下に足は靴 ④女子 大柄模様の長半天に下は大柄模様の着物に半巾帯、足は足袋に下駄 ⑤男の先生 洋服上着に下はワイシャツにネクタイ、ズボン、足は靴 ⑥男子 大柄模様の長半天に大きい格子柄の着物に帯、下は股引、足は足袋に下駄 ⑦男子 洋服 学生服上下 足は靴 ⑧男子 絣の着物に帯、下は股引、足は足袋に下駄 ⑨縞の半天に縞の着物、下は股引に足は靴下に靴 ⑩~⑪女子 大柄模様の半天に下は大柄模様の着物 ⑫女子 大柄模様の半天に下は大きな縞の着物に帯 ⑬~⑰男子 絣の着物 ⑱男子 縞の半天に縞の着物 ⑲~25女子 大柄模様の長半天に下は大柄模様の着物に半巾帯 26女子 道行コート風の上に着物 27~28女子 大柄模様の長半天に下は大柄模様の着物に半巾帯

図4-14
図4-14 学校の記念写真 個人所蔵(1933)
小学校の入学式の写真。洋服でセーラー服にエプロン。履き物は靴。男女30人のクラスの中で洋服は2人位。あとは皆着物に下駄かゾウリ履きであった