大正の末頃仲町の街道沿いに洋服屋があった。それは三多摩の、在郷軍人とか青年団の制服などの式服を一手に引き受けていた。当時珍しいシンガーミシンを五台くらい置き、職人も五人くらい置いてやっていた。ミシンの縫製技術は千葉の方で習ったという。その当時は平屋が多いなかで、この二階建ての洋服店は珍しかった。
表4-3 盗難品にみる衣類(『読売新聞』三多摩版より)
盗難品の記事には衣類関係のものが多いのだが、戦後まもない昭和22年~24年の頃の盗難事件の盗難品には衣類が多い。以下はその事件記事の内容である。娘師とは盗賊の隠語で土蔵破りのこと