お茶菓子

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 嫁入り条件として娘が親によくいわれたことは、まずうどんが作れること、お赤飯が蒸(ふ)かせること、まんじゅうが作れて、ぼた餅も作れることだった。客が来たらお茶にこうした茶菓子を作ってだすのが嫁の仕事だった。前述の茶菓子は特別なご馳走の部類に入る。ふだんの十時や三時のお茶菓子にはどんなものがあったのか表4-4に示している。表にはないが残りご飯のすえたものは、うどん粉と混ぜて、餅のようにまるめてホーロクで焼いた。これはお茶菓子になった。お茶菓子はさつまいもが取れれば、セイロでふかし、じゃがいもが取れれば塩茹でにして食べたものである。さつま団子もこのお茶の時に出たもので、蒸し器はさつまいもの場合は丸いセイロを使い、餅を搗く時の糯米を蒸す、また餅を蒸すのは角型のセイロを使った。餅は三月と暮れに搗いた。また、麦湯といって精米しない大麦を炒り、お湯の中に入れて黒砂糖を加えて飲んだ。果実は柿の実があり、また桑の実はドドメと言って子どもたちのおやつだった。
 
表4-4 まつりとたべもの「ききがき 小川四番の女たちⅡ 季節の祀りと暮らし」(小平・ききがきの会 2002年)をもとに作成
分類材料行事注記
手打ちうどん小麦粉正月1*冠婚葬祭、祝儀、講、お日待ち、盆供はうどんは本膳として出す。夏のあそび日などに御馳走としてよく作られた。正月の昼はうどん。糧(ナス、インゲン、油揚げ、薬味)といっしょに醤油味のつゆで食べる。
エビスコ1・11
ひなまつり3
端午の節句5
彼岸3・9*「こなはつ(粉初)」といって新しく穫れた小麦粉でうどんを作って嫁の里帰りに持たせた。
夏あがり7
お盆8
大晦日12*年越し蕎麦の代わりに食べた。
ゆでまんじゅう小麦粉・小豆あん彼岸3・9*小麦粉を熱湯で練り、あんこを包み熱湯で茹でる。
お盆8
七夕7
鏡餅糯米(陸稲)正月(お供え)1*鏡開き(1月11日)に雑煮や汁粉にして食べる。
のし餅正月
いとこ餅(粟餅)粟・糯米1*粟と糯米を半々に混ぜて搗く。つぶつぶが残る。
もろこし餅もろこし・糯米*のし餅、蒲鉾型の粟餅・もろこし餅は暮にたくさん搗き、寒の水で水餅にしておき、畑仕事の合間のお茶菓子として、焼いて醤油を付けて4月ごろまで食べた。
菱餅糯米ひなまつり3
紅白ニゴウダマ糯米七五三11*米の量が二合ということからニゴウダマと呼ばれ、一升からタマが5個とれる。
ぼたもち糯米・米・小豆あん・ゴマ・きなこ彼岸3・9
亥の子11*亥の子のぼたもちはその年に穫れた米で作る。
柏餅上新粉・小豆あん五月の節句5
草餅・よもぎ餅上新粉・よもぎ花まつり4
焼餅小麦粉半夏生7*半夏の2日に焼餅(まんじゅう)を作って祝った。
団子繭玉団子上新粉繭玉まつり1*繭玉は小正月の飾りものの一つ。
白団子上新粉初午2
彼岸3・9*入りのぼたもち・中五目ごはん・明けの団子。
月見団子上新粉十五夜・十三夜9・10
煮団子小麦粉*すいとんの堅めのもので戦中・戦後作られた。
さつま団子薩摩芋の粉*お茶菓子として作った。
ご飯七草粥米・七草七草粥1*正月の七日、七種の節句に食べる粥。春の七草(芹、なずな、御形・はこべ・仏座・すずな・すずしろ)
小豆粥米・小豆小正月1
どじょう粥米・うどん鎌洗い11*粥(又は小豆粥)にうどんを入れたもの。
赤飯糯米・小豆初午 2*赤飯・小豆飯は祝儀に供え、食べる。
七五三11(小豆飯は節分の晩、鬼の宿の家の荒神様に供える。2月3日)
小豆飯米・小豆エビスコ1・11
すし 五目・ちらし・いなり・のりまきひなまつり3
彼岸3・9
三角おにぎり火事見舞*火事の炊き出しは三角に、にぎった。
その他けんちん汁野菜・油揚げエビスコ1・11*産後は血が荒れるといわれ、二十日間はかつぶし味噌と粥・梅干を食べた。
かつぶしみそ産後
正月料理正月1三が日の朝は男が作る。
おせち 煮しめ*正月・五節句などに作る。
雑煮*里芋と銀杏切りにした大根・人参に四角い餅をいれ、醤油味で煮る。
黒豆・田づくり・なます
数の子・きんとん・きんぴら
おとそ*無病長寿を祈る祝い酒。
白酒・ひなあられひなまつり3
保存品狭山茶八十八夜 5/2ごろ4・5・7*茶摘みが行われる。
甘茶 花まつり4*干したアマチャ葉を煮出した飲物。
福茶正月・節分1・2*若水を沸かして入れた煎茶に黒豆・山椒・小梅・結び昆布などを入れたもの。
大晦日12
梅干・梅酒6*いい梅は一年おきに穫れるといわれていた。
醤油・味噌大豆・こうじ*調味料は買ったが醤油は職人が来て仕込む場合もあった。味噌はほとんど自家製。
その他の調味料(塩・砂糖・油・酢など)
漬物大根(たくあん)・きゅうり・なす・はくさい・スイカの皮・薩摩芋の蔓・ズイキ(里芋の茎)・切り干し大根・干葉(大根の葉)・種(スイカ・マツの実・かぼちゃ・ひまわり)*這いずりきゅうりは種を取り、夏場、たくさん塩で押し漬けにし、冬場は塩出しして、醤油、砂糖で煮て食べた。
乾物*たくあんは塩の量を加減して、一月分、二月分、三月分と各々樽を違えで漬けた。(気温の上昇によって塩分を多くする)
茶菓子ふがし・大福・ラムネ・すだれようかん…お花見で売られた。
焼餅…農作業の合間や弁当にして遠足や運動会に持っていって食べた。
飯餅…余った麦飯に小麦粉を混ぜて囲炉裏の灰の中に入れ焼いて食べた。
麦焦がし…大麦粉をほうろくで炒って熱湯で練り、醤油を付けて食べた。
さつま団子…さつま芋の切り干を臼で挽き、ふるってから湯でこね、団子にして蒸す。
さつま饅頭…さつま団子の皮の中に小さく切った薩摩芋をあんのように入れて丸め、蒸す。
亀の子焼き…水で溶いた小麦粉を鉄の亀の枠型で薄く焼き、中にあんこを入れたもの。
アイスクリーム…シャーベットに似ていて戦後すぐのころ五銭ぐらいで売られた。
アイスキャンデー…乾燥芋・玉砂糖・べっこう飴・あられ

表4-5 およそ出生祝い(当麻(伝)家文書より作成)
日付内容人名・所属
未三月廿九日米 弐升所沢 吉兵衛
上ふし 弐本
わた入といろいろ
同三十日米 弐升上ノ 弥左衛門殿
上物ふし 弐本
同日米 弐升新宅 幸七
ふし 壱本 百三十弐文程
四月朔日米 弐升留あらためて庄右衛門
ふし 弐ツ 六十四文斗
未四月二日米 壱升新家
だかし代 弐百文
ふるわた入 壱ツ
じゆはん 壱ツ
上物ふし 弐ツ八王子 梅原
かんひやう 百文程
やきしほ 弐ツ
二日米 弐升中屋敷 金次郎殿
上ふし 弐ツ
太り小紋袷 壱ツ
かんひやう しいたけ 百文程
四月三日ふし 壱本 弐百弐拾四文程八郎左衛門
同日ふし 壱本 百七十弐文程佐右衛門
四日ふし 壱ツ 八十文程幸蔵
米 弐升与四郎
ふし 弐ツ
五日ふし 弐本 百五十文金太郎
ふし 壱ツ 百文 浅右衛門
ふし 壱 百文余り勘右衛門
未四月五日米 弐升所沢 勘左衛門殿
大上ふし 弐ツ
小紋きぬ単物 壱ツ
同日米 弐升本田 半次郎殿
ふし 弐ツ 弐百文程
同日米 弐升本田 弥左衛門殿
ふし 弐本 弐百文程
六日ふし 壱本 八十八文程太郎
同日ふし 壱本 あさ 三十一[銭]市兵衛
八日米 弐升新宅 牛蔵
ふし 壱本 八十文余
ふし 壱本 百文余八右衛門
ふし 弐ツ 弐百斗七郎左衛門
酒 壱升庄兵衛
ふし代 壱本也
未四月七日酒 壱升直右衛門
八日ふし 壱本 百文余り権兵衛
九日ふし 壱本 百文余り清吉内
十一日ふし 壱本 百文程源次郎
十三日ふし 壱本 百文余り半兵衛
ふし 壱本 同物おなつ
同日ふし 壱本 百文斗兵左衛門
十四日上ふし 壱本 百三十弐文程源左衛門
未四月十五日金壱分 初着代七郎左衛門
同日ふし 壱本 百三十弐文程清三郎
同日ふし 壱本 百弐十四文程安五郎
十六日ふし 弐ツ 百文余り源之助
十九日ふし 壱本 百文程与市
ふし 壱本 百文程吉蔵
ふし 壱本 八十八文文左衛門
ふし 壱本 百文程上 留五郎
未四月十九日ふし 壱本 百文程長左衛門
廿日初着中形ちりめん小袖 壱ツ新家
廿四日金壱分也 初着代 外半紙 弐丈与四郎
廿六日初着いたしめちりめん小袖 壱八王子 梅原殿
せん子 弐本
金壱分也 初着代八王子 平右衛門
黒びろうど守ふくろ 壱八王子 布屋
九月十一日弐百文藤橋 次郎左衛門殿
未四月廿八日金壱分也 初着代庄右衛門
廿九日初着嶋ちりめん小袖 壱留おか 権左衛門殿
五月六日大形ちりめん小袖 壱所沢 勘左衛門殿
金壱分也 初着代新宅 幸七
金壱分也 初着代同丑蔵
廿六日金壱分也 初着代所沢 助次郎殿
外ふし代 壱朱
未五月初かつふふし 壱ツなか
ひもの 十 ふとりおび 壱筋
子供かたひら壱 味そ一重
かつふふし 壱 豆目嶋 布子 壱
未四月かつうふし 弐ツ 弐朱みな
みそ 壱重 ひものさはえび生
古しゆはん 壱 子ニ単物 壱
味 壱重 小紋単物 壱 小名 弐重
みそ 壱 めしつきかつうぶし 壱
米 壱升又弐升 布子半てん 壱
未四月廿九日
同日壱朱 ふし 弐ツおゑつ
子単物 壱ツ ひもの 十
みそ 壱重 米 弐升
味そ 壱重 青目嶋単物 壱
子供かたひら 壱 かつふふし
古布子 壱
雛代 百疋八王子
〃 はい子 壱ツ同 境屋より
〃 百疋新家
〃 百疋所沢 吉兵衛殿
〃 百疋 ふし 弐ツ上 弥左衛門殿
〃 弐朱中屋敷
〃 壱朱留岡 権左衛門殿
未十月十九日いたじめちりめん 七尺七寸江戸かつ羽板 勘助殿
雛代 弐朱本田 酒屋
〃 壱朱新たく 牛蔵
[ ]は難読字

表4-6 痘瘡見舞い(当麻(伝)家文書より作成)
文政六未四月四日 栄之助痘瘡見舞おほえ
日付内容見舞客・所在備考
六社宮御きとう新宅 佐兵衛
なし 七ツ
玉子 十五
菓子 壱折 三疋程
草双紙 弐冊
佐兵衛
かき 弐れん中や敷 金平様
菓子 壱袋
さとう漬 弐百文程
上くわし 弐百文程
くわし 壱袋上ノ 弥左衛門
さとう 壱曲 壱疋程
茶 壱袋 百文
ようかん 壱本 百文程是は江戸土産
折菓子 壱 但弐朱程
砂糖 壱曲 百文ほと本田 弥左衛門
さとう 壱曲 壱匁五分程本田 酒や
菓子 壱袋所沢 勘左衛門様
さとう 百文程
さとう 百文程 所沢 平蔵
かたくりめん 五
すし 壱箱所沢 五郎兵衛様
菓子 壱袋所沢 吉蔵
なし 弐ツ
しんこもち 壱重 弐百文程所沢 吉兵衛様
しんこ 壱重 弐百文程所沢 小平次様
たるま 壱 弐拾文程
菓子 壱袋 五拾文程清水 弥平次様
同 壱袋 百文程新宅 幸七殿
同 壱袋 百文程丁字や 吉兵衛様
四月
十六日なまりふし 弐本同人
たるま 弐ツ上ノ 名主様丈三寸程の
くわし 壱袋 百文程 村 直右衛門殿
くわし 壱袋 弐百文程所沢 助右衛門様
同 壱袋 五十文村 七郎左衛門殿
同 壱袋 百文程所沢 小平次様是重のうつり
とふふ 弐丁 所沢 しんや重のうつり
同 弐丁すゝ木 丁子や重のうつり
あふらげ 五十文うら町
くわし 壱袋 弐百文程下ノ 寺
なし 五ツ 百文程寺ノ ひくに
しん子 百文程勘左衛門様
四月
十八日くわし 五十文計村 兵助内
同 三十弐文程 村 孫八内
酒 壱升村 勘右衛門殿
あぢひ物 十まい柳 十助
くわし 壱袋 五十文程隠居 はゝあ
十九日
酒 弐升惣村中
廿日
くわし 五十文村 金蔵
廿一日
同 四五十文同 半兵衛
同 七十弐文同 佐右衛門殿
同 壱袋 百文程すゝ木源八殿
四月
廿五日菓子 壱袋 百文程村 平吉
せんへい 弐十四文村 庄左衛門
五月四日
菓子 五拾文村 徳左衛門
酉三月廿八日およそほうそう見舞
らくがん 百文村 七郎左衛門
くわし 百文程下 留五郎
なし 三つ 百五拾文程寺 隠居
くわし 百文 又 同 百文源左衛門
同 弐百文与四郎
同 弐百文中屋敷外におもちやかたくりめん三わ
だるま 壱ツ 三十弐文同人
同 壱ツ 百文程新家
らくかん 百文
まんぢう 百文
くわし 七拾弐文幸七
同 八拾文八郎左衛門
くわし 弐百文直右衛門
玉子 七ツ源次郎
くわし 五拾文おなつ
同 百文半兵衛
同 百文市兵衛
同 壱匁目所沢 勘左衛門
うつわ 壱
たるま 廿四文
人形 壱ツ 弐匁程
くわし 百文 まんぢう 百文弥左衛門
たるま 壱ツ 三十弐文
三拾弐文兵左衛門
長左衛門
くわし 百文勘右衛門
同 百文浅右衛門
くわし 百文清三郎
同 弐百文所沢 小平次
白さとう 百文丑蔵
弐百文 水あめ 百弐十四文程みせ
くわし 百文八王子
もちくわし
白さとう 百文柳くぼ 弥兵衛
くわし 百文 五十文鈴木 丁子や
くわし 百文本田 国三郎内
からから 壱本 五十
くわし 百文本田 弥左衛門
同 弐百文程上ノ 留四郎
白さ砂 百文佐吉
くわし 百文藤橋
たるま 七ツ 弐十九文程

図4-20
図4-20 水車の分布(『小平町誌』より作成)
 この図は『小平町誌』よりトレース作成した明治30年前後の水車の分布図である。幕末以来、畑の6~8割は大麦を作り、その他に粟、小麦、そば、陸稲などの雑穀の作付を農業の主軸としてきた。こうした生産に伴ってこの地域一帯に水車がつくられた。水車の出現から約一世紀の後に、それがほぼ姿を消したという。本図は小平の水車の出そろった時代の分布図であるという。それから後40年の間に次々と水車は姿を消して行った


図4-21
小島水車の精密な模型(縮尺10分の1)(たかの台 2010・4)



図4-22
図4-21の水輪の背後にある粉挽き場の部分(図4-21に同じ)


図4-23
図4-23 昭和のはじめ頃の小島水車の平面図(小島家所蔵資料より作成)
 図4-21、22の水車場の写真は、この水車の持ち主であった小島啓次郎氏(明治45年生まれ)ご自身がほぼ3年かけて製作した、10分の1の精密でかつ稼動する水車機構の模型である。この図4-23に記された数値を10倍したものが原寸大の規模になる。水輪(みずわ)の直径は775ミリ。実際の寸法は7メートル75センチ、幅が88センチのかなり大きいものであった。20組の杵と搗き臼に6台の粉碾き臼が設置され、水輪の下部は半地下にあった。水路は小平分水から廻し掘りして取水した。麦や米を購入して粉にして売っていたが、戦後は周辺の家々から持ち込まれた麦や陸稲を搗いたり挽いていた

図4-24
図4-24
小島水車(図4-23)の取水模式図・昭和初期の頃 (→は水流方向)


図4-25
底が抜けた水車の搗き臼。たかの台(2010.4)底が抜けるので修理しながら使った


図4-26
図4-26
水瓶 小平市民具庫(2011.10)

図4-27
図4-27
井戸で水汲み 飯山達雄氏撮影・寄贈 小平市立図書館所蔵(1957年頃)