営農からみるさつまいも

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 かつての五月から十月の畑は一面がさつまいも畑といっても過言ではないほどだった。さつまいもは、麦と同様に日々の主食のひとつであり、十時や三時のおやつであり、子どもたちの弁当に持たせたものでもあった。そして換金作物であった。その栽培技術は麦作同様に各家々に伝承された昔ながらの方法で作られていた。昭和十四、五年、現在八十代の回田のある農家の人が十二、三歳の子どもの頃に、父親の挽く大八車の後押しをして秋葉原の神田市場までさつまいもの出荷に何回も通った話は第二章に書いているが、その当時の神田市場にあちこちから持ち込まれたものはさつまいもで、市場は見渡す限りさつまいもばかりであり、現在市場にみられるような様々な種類の野菜の出荷はまだみられなかったという。
 さつまいもはまず自家の食べ物として作られ、換金物としてのさつまいもは、値は安定しているが技術と手間をかけた割には収益は少なく、稼ぎの面から見れば張り合いのない換金作物であったという。同家のさつまいもは神田市場のいも問屋が、品物を見ずとも品質を保証してくれるほど名が通っており、他のさつまいもよりも高値が付き小平のさつまいもの名を響かせていた。しかし、苗つくりから収穫まですべてが手仕事で、手間がかかり、同じ作業の繰り返しで、しかも気が抜けない、根気と体力がいる仕事でもあった。
 さつまいもや麦という従来からの農業経営を行う家が多かった時代に、一方で、様々に新しい野菜類の栽培技術に取り組み、少しでも収益のある商品作物を作るべく模索している農家も出てきていた。そうした動きにのった農家のさつまいものできはよくなかったという。野菜類を主体に農業経営を行おうとすれば、畑に施される肥料の性質は、さつまいもに適合しない肥料を多く使って土ごしらえを行うことになり、土質はさつまいも栽培には合わなかった。しかし新しい時代の農業経営をめざす視点から見ると、新しい野菜類を軸にした農業経営を模索している農家のほうが、進んでいたことにはなる。さつまいもを作って売っている農家もこれでは、これからの時代は生き抜いていけないと感じていたという。