電気が引かれる

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 小平にはじめて電灯がともったのは大正六年(一九一七)のことである。家ごとに電球を登録し、電気会社が時間を設定しての電灯であり、一戸あたり一球か二球、それも明るいもので十燭(しょく)(現在の二十ワットよりも暗い)程度の明るさだったが、その電球の下での「押麦ごはんがね、同じなんだけどランプのときと違うの。明るいから白く見えて、うまそうに見えるんだよ。食べてもおいしいんだよ。そうなると『明るいっていうのは、こんなに違うのか』って子どもながらに電気は大したもんだなって思いましたね。」という明治四十五年(一九一二)生まれの男性の話が『小平ちょっと昔』に紹介されている。なお、この当時は小平市立第一小学校の前のあたりに、電気会社の派出所があり、そこで電球を無償貸与しており、電球が切れると新しいものとかえてくれたという。
 さて、ここでは電話についてのひとつのデータを示してみたい。それは昭和十四年四月当時の小平の電話の普及度合を示す資料である。この時期の電話の普及の様子は、地域の近代的な商業のありようの一面を反映しているように思うからである。東京都立中央図書館所蔵の電話帳記録を調べる限り、最も古いものは大正十四年(一九二五)の『東京横浜近県職業別電話名簿』であるが、この時点で北多摩郡の役場で電話を引いているのは府中町、立川町、調布町の三町のみであり、小平村役場は記載されていない。大正十年(一九二一)には小平郵便局で電話業務が開始されている旨『小平町誌』には記されているのだが、その詳細は不明である。昭和二年九月十三日の東京日日新聞には、「三多摩へ電話架設工事」の見出し記事があり、ここには小平村は小金井村とともに「国分寺局へ接続する」地域とされている。これは電話業務開始に向けての先行作業であろうか。