多様な性格

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 しかしそれは、農家の営みのなかに商業的な色あいが薄かったということを必ずしも意味しない。それは農家の家々につけられていた屋号をみていけば、冒頭で述べたように、小平の農家が農業のかたわら商業的な稼ぎを含め、様々な稼ぎを行っていたことがうかがえよう。

図5-3

かつての青梅街道、旧小川新田付近。舗装道の端にはまだジャリの部分がある。宮本常一氏撮影 周防大島文化交流センター提供(1956.10)

 なお、街道沿いの農家の屋号に商家や職人的な呼称が付されている例は、ひとり小平のみでなく、田無や甲州街道沿いの谷保(やほ)(国立市)などでもみられる傾向であり、多摩地方の街道沿い農家のひとつの特徴かもしれない。こうした屋号は、アブラヤ、タネヤなど同じ屋号をもつ家が少し離れて複数みられることもあり、またまれに、一軒の家が複数の屋号で認知されている例もある。きわめて便宜的につけられ、呼び親しまれたものもあったのであろう。また、大工職人がいた家はダイクのなまりでデェという言葉を末尾につけ、何々デェと呼ばれることが多いが、まれに何々ダイクと、なまらない屋号をもつ場合もある。呼称のつけ方は決まった形からはずれた例もある。
 天神町に、クマデヤという屋号の家がある。二町五反ほどの土地をもつ農家で、小平に定住して十二代になる。ここは冬にクズはきなどに使うクマデを作っていたというが、これは今から四、五代前の戸主の時代のことらしい。近くには屋号で、ホーキヤ、ヤネヤ、ダイクサン、サカグチヤ、ナリキヤといった家があるのだが、ヤネヤの家が屋根葺き職人をしていた時代を記憶している古老はいなかった。ナリキヤは酒屋だったというから、必ずしも稼ぎを直に反映した屋号が付されていたわけではない。
 上鈴木にはマンジュウヤという屋号の家がある。ここは、農業のかたわら宿屋を営んでいた。幕末頃まで、川越や山梨方面からの旅人がよく泊まっていた。当時の戸主は、里いもを多く作付けし、宿の食事にそれをたくさん出して、すこしでも客に米を食わせない工夫をしろ、米代が浮くからと家族に話していたという。宿の前に台を置き、そこにふかしたマンジュウを皿にのせて売った。屋号はそのことからついたという。マンジュウヤと呼ばれていても、農家兼宿屋がその実態であった。その隣の家の屋号はソウメンヤといった。ここはかつてソウメンを作って販売しており、今から七、八年前まで、ソウメンを練った大きな桶が取り置かれていたという。上鈴木ではほかにオオシモ(集落の一番下手にある)、シンヤ(分家)、ヒガシ、イスケサン(戸主の伊左衛門の名を縮めての呼称という)、カシヤ、クルマヤ(水車稼業)、コウヤ(昔染物業をしていた)、ダンゴヤ、マガリットウ(曲がり道の角にあった)、ボウヤ(鍬の柄を作っていた)、カミ、ヘイサン(戸主の平次郎の名を縮めての呼称という)、ワタヤ、カンヌシ(神官の家)といった屋号の家がある。花小金井にも、チョーチンヤ、ワタヤ、カゴヤといった屋号をもつ家がある。
 ここで、今回の調査で聞いた旧小川村の屋号を以下に列記してみよう。あるいは、調査漏れもあるかもしれないのだが、おおよその傾向は把握できよう。
 まず、青梅街道の西の端から、北側に並ぶ家々の屋号をみていく。特に屋号をもたない家はとばしており、またその屋号で呼ばれていた家が、現在そこから移っている場合もある。ここで示すのは、主に戦前の状態になる。
西端から、
 ヤマヤ(これは山のしるしの下に弥の字を書く) ・ニゴリヤ(濁り酒を作っていたらしい) ・ボウヤ(ボウとは鍬の柄である) ・ナカヤ(仲買をやっていたからとも、長屋門があったからだとも) ・カンヌシ(これは文字通り神官の家) ・ナルセ(大名の成瀬家に炭を納めたという) ・タテグヤ(今はない) ・タマガワヤ ・スミヤ ・ヤドヤ(文字通り宿屋)・カミジュクノダンナサマ(小川村名主の家。ヨコチョウとも) ・ヤドヤ(同じく宿屋) ・トウフヤ ・タカサゴヤ(ここは酒屋) ・アブラヤ ・コメヤ ・アサミガッコウ(寺子屋的な私塾をやっていた) ・ヨリヤ ・ダイジン(これは大尽を指す) ・ショウユヤ ・ミナデイ(三七吉という大工がいた) ・シモジュクノダンナサマ(名主の家。イシヤとも) ・チョーチンヤ ・タケヤ ・ザイモクヤ ・マキヤ

 次いで又西に戻り南側。
 ヨコチョウ ・ヨイトマケ ・テラニシ(寺院の西隣) ・ワタヤ ・チョウチンヤ(この家はカサヤとも呼ぶ) ・オカシラ ・コンニャクヤ ・サンバサン(文字通り産婆さん) ・ジテンシャヤ ・ケイトクヤ(資産家の商店だった) ・ヨシミヤ(ここは旅館) ・ワラジヤ ・マンジュウヤ(今はない) ・ナベヤ ・キイムサン(喜右衛門さんか。雑貨荒物の店) ・ウドンヤ ・メイシャ(文字どおり目医者) ・アイヤ ・ネッコザカ(地名が屋号になった。蚕種屋) ・ヨリヤ ・シタテヤ ・ラッカショヤ(落花生のこと) ・タビヤ ・マルシチ(丸に七の字の運送屋) ・コンヤ ・サンノウサン(藪のなかに山王様が祀られていた) ・ヤネヤ(屋根葺き職人を指す) ・タケヤ(竹細工職人を指す) ・ジテンシャヤ ・ゲタヤ


図5-4
納屋の軒下に残されている屋根葺用具。これで叩いて葺いた面を揃える仲町(2011.6)

 このほか、これまで刊行された報告書には小川の屋号として、マンジュウヤ、カシヤ、キエムサン(喜右衛門商店)、シタテヤ、ツチカマヤ、カマヤ、アミヤ(養蚕用の網の製造)、タネヤ(蚕種業)、アンラクサン、ダンナサマ、オカシラ(名主直属の世話役)、カマクラ、そして宿屋としてフクダヤ、ヨシミヤ、キムラヤ、オオサワヤ、といった屋号が記されている。その家のいつの代かの戸主が農間商いを営んだり、腕に技をつけて職人としても稼いでいた時代の記憶がこうした屋号に反映している。