小平の職人

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 この節ではかつての農家が商家へ、また腕に技をつけて職人へといった動きの例をいくつかあげてみたい。なお、ここで紹介するのは、あくまで旧農村部においてのそうした事例であり、新興商店街での事例についてはまた別の問題として第九章でふれることとする。
 小川の青梅街道沿いに一軒の石材店がある。ここは小平市内で最も古い石材店であるという。とはいえ、この家が石材店を開いたのは昭和初期のことになる。小平は職人の少ない地域であったらしい。聞書きでさかのぼり得る時代に限れば、大工、屋根屋、ソラシ(木の伐採を行う職人)は、三、四人いたというが、鍛冶屋はいなかった。竹細工職人は安松(やすまつ)(所沢市)で修行して戻ってきた職人が花小金井にいた。この安松については後でふれる。大工は小平一帯のみでなく、よく杉並方面の仕事に雇われ、弁当を持って自転車で出かけていたという。
 小平神明宮の先々代の宮司が「小平に二人の匠(たくみ)あり。畳屋に立川あり。石屋に小川あり」とその腕をたたえる言を残しているが、ここでは昭和初期から続くこの石材店についてふれる。この店が開かれる前は田無から箱根ヶ崎の間には、墓石の細工ができる石工職人はいなかったという。ただ、現在の小川駅近くに、山出しの石を粗く細工する職人がいたらしいのだが、この職人についての詳細はよくわかっていない。