『小平ふるさと物語(二)』に、小平に生まれた男性が、千葉県の多古(たこ)町(香取郡)に奉公に出、洋服の仕立ての技術を身につけ小川新田(仲町)に店をひらいたことが、そのご子息が語る形で紹介されている。洋服は学校の教員や役場の職員からの注文が多かったらしい。月賦販売を取り入れ、ミシンを何台か据え、職人を三、四人雇って洋服を作っていた。このご子息が六歳のときに父親は亡くなっており、店もその後よろず屋にかわり、詳しいことはわからないのだが、その洋服屋が開業していた当時、小川新田にあった店は、ほかに煎餅屋、うどん屋(団子も販売)、酒屋、駄菓子屋、燃料店だけだったという。同書に、回田で干うどんの卸屋を行っていた家のことがでている。大正三年(一九一四)生まれの方の父親が埼玉県で習ってきたもので、猫印の商標で出荷し、よく売れたというが、一代で終わっている。
また、小川一丁目には戦前から牛乳を製造販売している家もあった。昭和四十八年から十年余り、地元の小学校に牛乳をおさめていた。昭和初期頃、小川近辺では牛乳を買うのは主に体の弱い人や病人で、ここから買って飲んでいたというが、この家の経営についての詳細はわからない。小平の旧農村部において、こうした非農業的稼ぎのありかたを探るのは、半ばはその消長を確認していくことでもある。