ほとんどの農家は、一反歩ほどの竹やぶをその敷地内にもっていた。マダケとモウソウチクのやぶであるが、後者のほうが多かった。この竹は自分の家の諸道具の製作や修理にあてるのだが、使いきれない分の竹は切って売ってもいる。竹は所沢の安松(やすまつ)というところに売りに行くのだが、東村山の秋津や小金井方面の竹細工職人も買いに来ていた。安松には竹細工の職人が三十軒ほどあり、ここには花小金井から弟子入りした人もいる。安松の竹細工がさかんだったのは、昭和三十年頃までだが、最盛期には千葉、群馬、九州方面からマダケを取り寄せ、安松ザルという名で知られる小ぶりのザルを作っていた。これは底を網代編みにし、側面を茣蓙編(ござあ)みで編み上げる、関東でよくみかけるタイプのザルである。専業の職人もいたが、農家が農閑期である冬場に作ることも多かった。行商人や問屋も五、六人いて、八王子から青梅、立川にかけての市(いち)に出したり店に出荷していた。
こうした竹は、竹屋や竹細工職人が一年間使う分を農家と契約して購入することが多かった。竹の伐採は、八月下旬から二月の間に行う。三月になると竹が水を多く含むようになり、虫がつきやすいという。竹を運ぶのは、小平で馬車を持って荷運びの稼ぎをやっている人になる。竹は長いために、その半分は馬車の荷台からはみだすことになるが、これを地面につけないように積んで運んでいった。安松のほかに、前述した秋津や豊島園(練馬区)のあたりまで運んでいた。豊島園近辺は、練馬大根の産地であり、沢庵用の大きな桶のタガを作る職人が多かった。畑に作る作物ではないが、竹は農家にとってあてにできる稼ぎのひとつであった。