縁深い土地

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 これまで述べてきたような、かつての物流について古老から話を聞いていた時「買い物は所沢だったが、人とのつながりは村山、大和が強かったよ」との述懐をしばしば耳にした。ここでは往時の婚姻圏と作代の雇用圏をみていくのだが、結果としてそうした古老の言葉を裏付けることになる。
 単に隣接自治体ということのみでなく、そうした民間での人的なつながりの濃さがその一因となっているのかもしれないのだが、小平が市制を施いた頃の時期、行政上においても、この二地域との連携はしばしばみられている。ゴミ焼却について小平市は、村山と大和で組合を設立し、昭和四十三年三月に共同処理場を設けており、し尿処理場の建設で、小平市は大和町とともに、湖南衛生組合に加わったが、これは当時、武蔵野市、小金井市、村山町で組織している組合だった。人のつながりでみるかぎり、村山、大和、それに久留米を含めた北多摩郡とのつながりがまず強いようであり、ほかには南多摩地域の北部、東京都区内の西端地域とのつながりがあげられよう。