奉公圏

483 ~ 485 / 881ページ
 農家に住み込み、その家の農作業を手伝う雇われ人を作代といった。いわゆる作男(さくおとこ)のことである。その多くは尋常小学校を出てすぐに雇われていた。当時、その上の高等小学校に進める子はそう多くはなく、卒業するとなんらかの形で社会の中に出て行かなければならなかった。お仕着せつきで、一年間の賃がいくらという形での契約雇用になるのだが、親の借金のかたに作代になることもあった。こうした慣行がみられたのは、戦前までのことで、戦争が始まると、彼等の多くは徴用で軍需工場に駆り出され、農家から作代の姿は消えていった。
 「小学校を出て、東京に奉公で働きに出ていける人は運の良いほうです。ほとんどが近隣の農家の作代ですね。昭和のはじめ頃で、一年三十円から五十円というとこでしょうか。」と、大正十年(一九二一)生まれの人が話していたが、東村山や久留米方面の農家は、小平に比べて規模が小さく、よく子どもを小平に作代に出していたという。どの家にどこから作代がはいっていたかについての統計的な資料はないのだが、個別的な史料の形では散見する。参考までに明治初期の事例(表5-5)を示したが、その出身地は、聞書きで確認した地域とそれほど変わりはない。
 
表5-5 作代の出身地の一例。「僕婢取調書 明治六年酉三月改メ」(斉藤家文書B-323)より作成
雇 主被 雇 人
廻田新田川島太兵衛多摩郡深大寺村勘兵衛二男 半田慶次郎 18歳
浅見四郎左衛門同郡野中新田永次郎長男 中嶋弥十 22歳
同郡人見村源右衛門二男 加藤文吉 27歳
同郡境村豊吉長女 平野さき 19歳
神山権三郎同郡堀之内村初五郎二男 大野滝次郎 17歳
同郡内越村辰五郎二女 石原もよ 26歳
斎藤弥兵衛同郡上連雀村平蔵二男 吉田長蔵 19歳
山田庄兵衛同郡廻田新田卯之助三男 小林弥次郎 21歳
同郡本宿村徳次郎長男 関軍次郎 21歳
斎藤輔九郎同郡上連雀村 綱五郎長男 海老沢粂蔵 22歳
同郡戸倉新田庄五郎長男 清水吉蔵 19歳
新座群上保谷村伊左衛門三男 岩崎辰五郎 26歳