そして、数ある祭りのなかで最も規模の大きなものは、四月第四土曜・日曜日に行われる八雲祭(宵宮(よいみや)祭・神幸祭)である(平成二十四年に従来の四月二十八・二十九日より変更)。この祭りは、正式には小平神明宮の境内に祀られている八雲神社の祭りであるが、神輿の渡御(とぎょ)が大々的に行われて大勢の人たちで賑わうため、小平神明宮の祭りといえば八雲祭を思い浮かべる人も多い。この祭りの由来については、昔、氏子たちのあいだに疫病が流行り、ちょうどそのとき八雲神社の祭りが近かったので、氏子の希望により神輿の渡御を行うようになったと伝えられている。
渡御のルートは図6-2のとおり基本的に氏子区域を巡るルートとなっていて、各組にお仮屋(かりや)を設置してそこで神事を執り行う。公道を使用する関係上、事前に警察の許可が必要なため、ルートと時間はしっかり決めている。神輿渡御は、御先払い-高張提灯-太鼓-神輿(その後ろに子ども神輿)-囃子-浄財という順番で行列を組んで進む。このような形式は府中市の大國魂神社のくらやみ祭をはじめ、旧北多摩郡地域の祭りでよく見られるかたちである。
図6-2 2010年八雲祭の神輿渡御順路(小平神明宮配布のチラシより) |
神輿の担ぎ手や見物人は、氏子地域である小川町の人たちを中心に、小平市内各所はもとより市外からも多数の人々がやってくる。特に目立つのが神輿を担ぐ応援団体の人たちである。神輿渡御は旧北多摩郡下の祭りでよく行われていて、それぞれの神社に担ぎ手の団体ができている。そして、彼らは自分たちの団体の半纏(はんてん)を着て、他所の祭りに出向いて応援団体として神輿を担ぎ合っているのである。多くの団体が一基の神輿を目掛けて集中することになるので、些細な喧嘩が発生しやすい状況になり、それを避けるために八雲祭の一か月ほど前には半纏合わせという会議を行い、どこの団体が何の半纏を着ているのかを確認し、祭りへの応援を事前登録制としている。ちなみに、平成二十二年度の八雲祭では次の一七の団体が登録していた。
学園西町小平神明宮氏子会・武蔵野神社睦会・熊野宮一本榎睦会・上水本町稲荷神社上鈴木成年親睦会・鈴木稲荷神社睦会成年部(以上小平の団体)・関東武蔵総社・神輿白鳥会・井草睦・酔進・いなほ青年会・神輿愛好会欅睦・神輿愛好会立川同心会・国分寺睦会・和睦会・美野和会・中宿無風会・晴見講中
各組に設置されているお仮屋は、人によっては御旅所(おたびしょ)や神酒所(みきしょ)などと呼んでいたりするが、内容としては同じもので、要は担ぎ手がそこで神輿を下ろしてしばらく休む休憩所のことである。お仮屋では組の女性たちが中心となって神酒や料理を準備し、神輿が来るのを待っている。神輿が神酒所に到着すると簡単な神事が執り行われ、しばらく休憩に入って歓談する。休憩中、神酒所に集まった人々は思い思いに太鼓を叩くので、太鼓の音が周囲に響き渡る。
渡御中の太鼓には叩き方がある。太鼓の上に乗っている人が提灯を太鼓の前に下ろし、「ソーレェ」という掛け声とともに提灯を上げるので、その掛け声に合わせて太鼓を叩かねばならない。そして、叩くときはゆっくりと力強く叩く。また、叩く回数と順序も決まっている。まず挨拶として軽く三回叩く。そして、右手に撥(ばち)を持って三回叩き、次に左手、右手、左手、右手に持ち替えながら一回ずつ、計七回叩く。次に右三回、左右二回の計五回、最後に右一回、左右二回の計三回叩いて一セットである。叩くのを止める時は、一セット終了後、太鼓を軽く叩いて挨拶する。そうしないと、太鼓の上に乗っている人が提灯を下げてきて、「ソーレェ」という掛け声が発せられて、再び叩くことになってしまうからである。
神輿渡御の前日の夕刻には宵宮祭が行われ、各氏子地区から万灯(まんどう)を出して、青梅街道を練り歩きながら小平神明宮まで向かう。各地区で趣向を凝らした万灯が作成されている。宵宮祭では、翌日の神輿渡御に合わせて、祭神の遷座を行う厳粛な儀礼が執り行われる。同じ頃、小平神明宮の境内では多数の露店が参道に出て、子どもたちを中心に多くの参拝者で賑わいを見せる。
小平神明宮の祭りのうち神輿渡御が行われる祭りはもうひとつある。それは十月第二土曜・日曜日の学園西町氏子会祭礼である(平成二十三年に従来の十一月二・三日より変更)。この祭りは平成五年か六年頃に、学園西町に住む氏子の発案で始められた比較的新しい祭りである。この祭りは隔年開催で、初日は会場(一橋大学小平キャンパス内)で模擬店と催し物を出し、二日目は神輿渡御をして学園西町中を巡行する。
なお、境外社の一の宮神社の祭りは、二月十七日の春祭りのときに神様をお迎えし、小平神明宮で一緒にお祭りをしている。