由緒来歴

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図6-7
上水南町稲荷神社 上水南町(2009.11.29)


 上水南町稲荷神社は上水南町に鎮座しており、江戸時代の野中新田善左衛門組のうち、堀端と呼ばれる地域を氏子区域とする神社である(図6-7)。その由緒については、境内に設置された案内板には次のように説かれている。
 野中新田は、武蔵野に開発された諸新田の中できわめてめずらしい町人請負新田である。町人請負新田というのは、新田の開発を請負、家族をつれて新田に移住し、開発が終わるとまた居村に戻ることである。
 開発当初、一村であったが、その面積が五、五〇〇平方メートルにわたる広大なために、後に野中新田与右衛門組、同善左衛門組、同六左衛門組の三組に分かれた。
 この時、玉川上水南の飛地、堀端野中(現上水南町)は、善左衛門組に属していた。そこで元文元年(一七三六)に組頭の六左衛門などが相はかって、この堀端野中の産土神として、稲荷神社を勧請遷祀したのだと伝えられている。
 明治四年に村社に列せられ、現社殿は昭和二六年に大改築を行い、現在に至っている。(平成元年一一月 小平市教育委員会・小平郷土研究会)

 祭神は倉稲魂命である。氏子のあいだでは疱瘡の神様ともいわれている。上水南町稲荷神社は現在も旧野中新田善左衛門組の堀端地域を護る鎮守の神様として崇敬され、上水南町に設定された各班から神社総代を選出している。上水南町稲荷神社の氏子数は九十戸弱で、その多くは古くからここに住む人々であるという。上水南町稲荷神社には常駐の神職がいないので、熊野宮の宮司が当社を兼務している。