由緒来歴

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図6-13
氷川神社 回田町(2009.11.29)


 氷川神社は回田町に鎮座し、江戸時代の廻り田新田の範囲を氏子区域とする神社である(図6-13)。その由緒については、境内に設置された案内板には次のように説かれている。
 回田新田は狭山丘陵の東南にある廻田村(現東村山市廻田町)を親村とする新田である。その開発にあたっては、幕府に開発願を出して一定区画を割り渡されるという、一般に行われた手続きを踏まずに、享保十一年(一七二六)野中新田から土地を譲り受けて発足した、武蔵野新田でも変った開発形式を持つ新田である。はじめの頃は、家を造って定着しようとする者など一人もいなかったが、幕府の方針もあり農民の定住が進むと、精神的支柱としての神社建立を要望する声が村人の間に起った。そこで、宝暦五年(一七五五)新田の有力者である弥兵衛の持地を社地として提供してもらい、本村の氷川明神と稲荷明神の両社の枝宮として勧請したのが、この氷川神社である。
 現在の社殿は、安政六年(一八五九)に再建されたものと言われ、昭和三〇年代に屋根の葺き替えその他の大改修が行われている。(小平市教育委員会・小平郷土研究会)

 祭神は素戔嗚命である。境内には稲荷神社と秋葉社の社が祀られ、そのほかに山の神の祠がある。氷川神社は現在も旧廻り田新田の地域を護る鎮守の神様として崇敬されている。現在の氏子数は約百八十名くらいだが、廻り田新田は明治初年まで戸数十五戸程度の小村だったので、氏子の大半は戦後の宅地開発以降に移り住み始めた人たちである。神社役員は六名で、そのうち責任役員の一名は近世に名主を務めた家の者が務めている。氷川神社には常駐の神職がいないので、熊野宮の宮司が当社を兼務している。