図6-16
秋葉社 御幸町(2009.11.16)
秋葉社 御幸町(2009.11.16)
秋葉社は海岸寺(御幸町三一八)境内にある小さなお社である(図6-16)。例祭は十一月十六日に行われ、海岸寺住職が般若心経、観音経などを読経し、火災除けのお札が参列者に頒布される。参列者は海岸寺の近隣住民十数名である。
さて、この社の棟札には次のような由緒が書かれている(現住職が平成十二年に筆写し所持したものから転記)。
秋葉山由来書
武蔵国北多摩郡鈴木新田 勘兵衛心願に付 村々世話人を以て 永代万人講を取立て 代参を立て 世話人を以て札を配附し 益々繁なるを以て 文化二丑年十一月十七日 東秋葉山 隨雲山海岸寺地内建立し 鈴木新田名主定右エ門 組頭友次郎 立会って 秋葉山敷地代として金子壱両を奉納し 永遠に秋葉地と称するに至れり
安政三辰年正月初十一月十七日出来
供養石燈籠壱対
明治拾九年 再建
同三拾八年 屋根葺替
同四拾四年十一月十六日 落慶敷を行う
瑞雲山海岸寺 橘玄格代
武蔵国北多摩郡鈴木新田 勘兵衛心願に付 村々世話人を以て 永代万人講を取立て 代参を立て 世話人を以て札を配附し 益々繁なるを以て 文化二丑年十一月十七日 東秋葉山 隨雲山海岸寺地内建立し 鈴木新田名主定右エ門 組頭友次郎 立会って 秋葉山敷地代として金子壱両を奉納し 永遠に秋葉地と称するに至れり
安政三辰年正月初十一月十七日出来
供養石燈籠壱対
明治拾九年 再建
同三拾八年 屋根葺替
同四拾四年十一月十六日 落慶敷を行う
瑞雲山海岸寺 橘玄格代
これによると、江戸時代、ここに講が組織されて秋葉山のお札が世話人より配布され、その人気のあまり文化二年(一八〇五)には現在地に秋葉社が建てられたことがわかる。今はもう秋葉講は行われていないが、現在の年配者は秋葉講のことを少し覚えているという。話によれば、御幸町に八名、小金井市に五、六名の講員がいたそうであるが、戦後、自然と解散したという。