平成二十一年の八雲祭

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 平成二十一年度の八雲祭は以下のようなものであった。神輿渡御は四月二十九日であるが、前日に八雲祭前夜祭として、図6-17の順路で万灯行進が行われる。担当するのは小平神明宮小川睦会(同会については次項で詳述)であり、第一支部から第八支部、本町坂北支部の九基の万灯と、小川よ組の山車が一台出る(図6-18)。支部はかつての組にあたる。小川は青梅街道の西側から東側に向かって一番組から八番組、青梅街道から北側に伸びる通りの本町組と坂北組に十区分され、祭りのときは古い呼び名が使用される。
図6-17
図6-17
万灯行列順路


図6-18
万灯行列 市域中央部(2009.4.28)


 万灯は夕方六時に東京むさし農協小平支店前に集合し、六時二十分に出発する。青梅街道を行進して夜八時三十五分に神社に到着し、その後解散となる。七時四十分からは、前夜祭の神事が行われており、神社責任役員、氏子総代、地区顧問のほか、八雲祭大祭委員会の大祭委員長・副委員長、取締役、警護長、神輿長、太鼓長、事務局長らが出席する。
 翌日の神輿渡御では朝八時十五分から神幸祭が始まる。八時四十分に、神輿は参道を白丁(はくちょう)に担がれ、神社の拝殿から巡行の出発地点である二番組に設置されたお仮屋まで移動する。参道で神輿を担ぐ白丁は、各地区から推薦された十七、八歳から二十歳代前半の若い未婚の男性が務め、白装束で参加する。白丁は神に奉仕するという役割を負う。二番組のお仮屋に神輿が到着すると、九時十分から巡行が開始される。鉄杖(かなづえ)(御先拂(おさきばらい))、高張り提灯、太鼓、神輿(台車)、囃子車、浄財の順に百二十メートルの行列を組み、参加人数は約三百人におよんだ(図6-19)。

図6-19
八雲祭の神輿渡御 小川町(2009.4.29)


図6-20
図6-20
神明宮神輿渡御順路

 図6-20のように、神明宮に最も近い二番組を出て、一番組から順番に渡御していく。一番組だけは町会と睦会のお仮屋がある。担ぎ手は自分の地区でははりきって担ぐが、午後になると徐々に疲れも出て休憩する人が多くなる。神社に戻る直前の二番組あたりから担ぎ手が一気に増える。復活当時には新聞に「マラソン神輿」と書かれたという話もきく。途中休憩をとりながらすべての組をまわり終えると、夕方六時十分に再び二番お仮屋に戻ってくる。ここで再び、白丁によって神社へ還御される。神事が執り行われた後は直会(なおらい)となり、すべてが終了する。
 なお、平成二十三年度は三月に起こった東日本大震災によって、祭りは中止された。