公民館活動としての青年学級

567 ~ 568 / 881ページ
 昭和三十三年度の「公民館事業計画書」が『小平町誌』にとりあげられている。それによると、事業の対象は「成人一般、婦人、青年、子供、一般」に区分される。「青年」の活動としては「青年学級、青年の集い、成人式、新卒就職者激励の会、軟式野球大会、卓球大会、小平町駅伝大会、体育教室」が列挙されている。内容は、「青年学級」は「勤労青年に対して職業家事の技能知識の実習、話し合いを通じて社会的教養を向上」、「青年の集い」は「町内青年が共同生活を通じて共同学習する」とある。青年学級は「戦前の青年学校などとは本質的にことなった青年の自主的共同学習の場」であること、「昭和二八年の青年学級振興法にもとづく行政指導により開設されたが、公民館が開設するのではなく、青年の申請によって開設」されるとある。
 このように、青年の活動は戦前は地域への奉仕の色合いの濃いものであったが、戦後は親睦を深め、教養を向上させることを目的としていた。ただし、当時からこれらの活動には旧農村部の住民は参加しても、新たに小平に移り住んできた住民は参加しない傾向があり、公民館の職員が各地区をまわって参加をよびかけてまわった。当時の様子は『ともしび』という冊子で回顧されている。その結果、小川、野中、中央の三地区に男性は農業、女子は家事を中心とする学級が設置されている。参加者をみると、このときは農村的な色合いが濃かったようである。
 昭和三十年代後半になると、工場の建設にともなって小平に移り住んだ若者が仲間作りを求めて青年学級に足を運ぶようになっていき、青年学級は新しい局面を迎えた。学級も社会的なものに目を向けた内容へと変わっていく。『ともしび』に載った当時の参加者による座談会の記事をみると、参加者の多くが地方から出てきて寮やアパートで生活している青年労働者や商店の住み込み店員であること、地元の若者の進学率が高くなると公民館には来ない、といった参加者の特徴が指摘されている。地縁をもたない若者が、新たなつながりをつくる場を求めて青年学級に参加していたことがわかる。