昭和四十年代にはいると、公民館活動のなかでも女性を中心とした様々な活動が活発になる。公民館が主導する活動はそれまでの地縁をもとにした婦人会等の活動とは異なり、複数ある選択肢のなかから参加したい内容を自由に選び、自発的に参加できるものであった。昭和四十四年の市報(六月二十日)の「公民館だより」の「昭和四四年度公民館事業一覧」みると、成人教育の区分のなかに「婦人教室」と「婦人教養セミナー」がある。婦人教室では、学園地区で母親を対象として「育児と母親」、たかの台地区で「教育」といったテーマの教室が開講されている。婦人教養セミナーでは「歴史、教育、婦人問題」の三講座が設定されていた。婦人教室は十回、婦人教養セミナーは十五回の開催であるが、それでも農家の嫁が家を空けるのは難しかったであろうことを考えると、これらは核家族のなかで育児や子どもの教育をする母親をサポートすることを目的としていたと思われる。
さらに、昭和四十六年の市報(三月五日)の「公民館だより」には「婦人の美容・健康 スポーツ教室を開きます」とあり、中央公民館で毎週二回、午後二時から四時に教室が開かれることになっている。午後のこの時間帯にこのような活動ができるのは、家庭のなかで家事や時間に対しての裁量権をもつ専業主婦であろう。夏になると、「婦人の水泳教室」が市営プールで午前中に開かれている。育児のように母親にとって必要な講座もあるが、趣味や教養といった自発的な活動が頻繁にみられ、あきらかに住民層の変化をみてとることができる。このような活動を通して知り合いになった女性たちが、講座を契機に新たな活動を展開させていく。