この講は幕末から続いているらしいが、資料を戦災で焼失してしまっているためそれ以前のことはわからなくなりつつある。現在は北・東・西の各地区から三人ずつ九人で代参に行っているが、残された資料によれば、昭和二十年代には北・東・西・南から二人ずつ、八名で行っていた。代参に行く日は、三地区の代参者が集まって日程調整をして決めることにしている。ただし、四月十三日には地域の氏神の武蔵野神社で祈年祭(春祈祷)があるので、それ以前に行くようにしている。年配者の話によれば、関越自動車道ができる前までは伊香保に一泊していたが、現在は観光バスで日帰りで行くようになったという。榛名山では作物がよく成るように祈願し、五穀豊穣の嵐除けのお札をいただき、帰ってきてそれを各講員に配り、お日待の日時と会費を伝える。いただいたお札は畑に立てるほか、講中安全・繁栄の御立札を集落の境界に立てる。野中東と野中北には二か所、天神町では四か所に立てている。
お日待の日は、祈年祭(春祈祷)の翌日、四月十四日と決まっている。お日待では、はじめに代参者から筒粥の結果の説明がある。筒粥とは、榛名神社で新年に行われる作物の豊凶を占う神事で、かつて講員はその結果を当年の作付けの判断の目安としたのである。筒粥の結果を聞いた後は籤を引き、翌年の代参人三名と補欠一名をくじ決める(図7-5)。
図7-5 榛名講の代参人を決めるくじ引き 天神町(2010.4.14) |
お日待の場所は、昔は家々を回して決めていたが、現在では農協の支部が主催するかたちで天神地域センターで行っている。場所が変わっても、お日待でうどんを食べる慣わしは変わらない。今はうどんを業者に注文して取り寄せるようになっているが、昭和四十七年までは小麦粉を購入し、実際に自分たちで作って食べていた。