戸隠講は長野県長野市の戸隠神社まで代参しに行く講である。小川町で今でも行われており、講員は小川一番組から四番組までの人を中心に四十三名である。
話によれば、この講は明治十八年(一八八五)に講元の四代前の先祖が始めたもので、当時、東村山市廻田町を中心に戸隠講があって、そこが大きな組織だったので小川で講を分離独立してできたと伝わっている。戸隠神社まではだいぶ距離があるが、この講のお日待にやって来る戸隠の御師は、東村山市、東大和市、小平市、清瀬市、東久留米市、西東京市の三十か所くらいの講を回っているというから、これらの地域には戸隠を信仰する人々がそれだけいるのである。この御師は、この地域の講元の家を三月上旬から四月下旬にかけて回っている。彼の祖父の代までは、汽車で来て、リヤカーに荷物(御札、装束、御幣)を積んで、講元の家に泊りがけで回っていたという。
小川の戸隠講では、昔は他の地域と同じように四月にお日待をしていた。しかし、この月は小川には祭りがたくさんあって忙しいので、現在は六月にずらしてもらっている。お日待とは、講元に講員を集め、神事を行い、御師がお札を配る場である。講元の家の座敷に祭壇を設け、神事が行われる。戸隠神社の祭神は九頭竜大神で、クズリュウサンと呼ばれている。御師の話によれば、水神であり、生命の源を司る神様であるが、厄払い、虫歯の神様としても崇敬されているという。神事が終わると直会となり、歓談しながらの飲食となる。直会の最後にはうどんを食べる。今はうどんを業者に注文しているが、昔は朝から講員が集まってうどんを作っていた。
代参は十月下旬に行くことにしていて、籤で代参者を決めている。最近では十名以上で行くようにしているので、数年のうちに全員が籤に当たるようになっている。代参にはバスで行き、戸隠神社のうち宝光社に関係する宿坊に泊まっている。