図7-8
畑のなかに祀られる屋敷神 小川町(2010.3.20)
畑のなかに祀られる屋敷神 小川町(2010.3.20)
屋敷神は一つの家にどのくらい祀られているのだろうか。それを一軒ずつ調べるのは容易ではないが、幸いにもそれが分かる資料がある。それは、小平神明宮が年末に氏子に配る御幣(ごへい)の数を家別に記した台帳で、文久三年(一八六三)に作成した「竃神祭覚」という古文書である(小平市中央図書館所蔵「宮崎家(神明宮)文書 F9」)。この御幣は、氏子が新年を迎えるにあたって、竃神をはじめとする屋敷神のひとつひとつにあげるもので、神様を祀る数だけの御幣が必要となる。神様の数は毎年変わるわけではないから、小平神明宮では江戸時代以来、毎年この台帳を見ながら御幣を準備してきた。どこかの家で屋敷神が新設されたり廃絶されたりすると、台帳にそのことを書き込んでいく。こうしたやり方は今でも続いており、小平神明宮では現在使用中の台帳と、昭和三十年に作成した台帳を保管している。ご好意により、昭和三十年と平成二十一年の頒布状況を確認する機会を得たので、それらとあわせながら旧小川村の屋敷神の種類と数の変遷を追ってみよう。
三つの台帳の内容を整理して、年代別に屋敷神の種類と数をまとめたものが表7-2である。これによれば、文久三年の時点で、御幣を頒布した家数は二百二十三戸、昭和三十年の時点では四百四戸、平成二十一年の時点では四百九戸となっている。およそ百五十年のあいだに、旧小川村地域の家数は増加の一途を辿り、そのうち明治時代はおもに分家で家が増え、戦後はおもに畑地が宅地開発されたために家が急増している。文久三年から昭和三十年までのあいだに頒布戸数が二倍弱の増加なのに対して、昭和三十年から平成二十一年までの頒布戸数にさほど変化がない理由には、次の二つが考えられる。ひとつは、戦前はおもに氏子の家からの分家による家数の増加だったのが、戦後はおもに他所の地域から移り住んできた家の増加にすぎず小平神明宮の氏子にはならなかった。もうひとつは、戦前には信仰心のある人が多かったために御幣の頒布を受ける家数が自然増となったが、戦後になるとそれが薄らいできたためにはっきりとした増加がみられなかった。いずれにせよ、そうした背景を踏まえて、次に屋敷神の数の変化についてみていきたい。
表7-2 小川村(現小川町)の屋敷神数 | ||||
no. | 屋敷神名 | 屋敷神数 | ||
1863年 | 1955年 | 2009年 | ||
1 | 竃神 | 222 | 362 | 398 |
2 | 稲荷 | 111 | 131 | 115 |
3 | 年神 | 64 | 156 | 189 |
4 | 弁財天 | 19 | 19 | 15 |
5 | 水神 | 12 | 24 | 24 |
6 | 山ノ神 | 10 | 6 | 3 |
7 | 荒神 | 9 | 6 | 3 |
8 | 疫神 | 6 | 7 | 4 |
9 | 八幡宮 | 5 | 5 | 3 |
10 | 三王礼神 | 5 | - | - |
11 | 井戸神 | 3 | 10 | 11 |
12 | 宇賀神 | 3 | 2 | 2 |
13 | 地神 | 3 | 1 | 1 |
14 | 霊神 | 2 | 10 | 9 |
15 | 松尾 | 3 | 2 | 1 |
16 | 住吉 | 2 | 2 | 2 |
17 | 若宮 | 2 | 2 | 1 |
18 | 不動 | 2 | - | - |
19 | 蚕神 | 1 | 1 | 1 |
20 | 三峯山 | 1 | 1 | 1 |
21 | 石尊 | 1 | 1 | 1 |
22 | 富士 | 1 | 1 | - |
23 | 八大竜王 | 1 | 1 | 1 |
24 | 天神 | 1 | 1 | 1 |
25 | 三嶋宮 | 1 | 1 | - |
26 | ふなたま | 1 | 1 | - |
27 | 金山神 | 1 | - | - |
28 | 今熊山 | 1 | - | - |
29 | 熊野宮 | 1 | - | - |
30 | 厄神 | 1 | - | - |
31 | 太神宮〆 | 2 | - | - |
32 | 阿以神 | - | 3 | 1 |
33 | 金刀毘羅 | - | 1 | 1 |
34 | 紋五郎社 | - | 1 | 1 |
35 | 室神 | - | 1 | - |
36 | 臼神 | - | 1 | - |
37 | 氏神 | - | - | 5 |
38 | 恵比寿 | - | - | 2 |
39 | 馬頭神 | - | - | 1 |
不明 | 6 | 7 | 4 | |
合計 | 503 | 767 | 801 | |
御幣頒布戸数 | 223 | 404 | 409 | |
「竃神祭覚」(小平市中央図書館所蔵「宮崎家(神明宮)文書 F9」)、小平神明宮保管資料2点より |
屋敷神は竃神が圧倒的に多く、次に稲荷、年神と続く。竃神とは台所に三本の御幣を立てて祀られる火の神様である(図7-9)。家には必ず火の元があるから、竃神はどこの家でも祀られる神様と言って差し支えない。次に多く祀られている稲荷は、母屋の外に社を建てて祀られている神様である。稲荷は五穀豊穣の神様といわれているが、後に述べるように、家によって様々ないわれがある。年神は、新年を迎えるに当たって祀る神様で、家の神棚にこの神様を迎える。次に多く祀られている弁財天と水神は、水の神様として信仰されており、同じ性格をもつ井戸神と合わせると八戸に一戸の割合で祀られている。その他いろいろな屋敷神が祀られているが、それぞれの家の事情で信仰する神様も異なっている。例えば、松尾は三柱しか祀られていないが、松尾は酒の神様で酒造業者に信仰される神様である。この地域にも江戸時代に酒造を営む家があって、そうした家筋のところで松尾の神様が祀られているのである。
図7-9
台所に祀られている竃神 小川町(2010.4.12)
台所に祀られている竃神 小川町(2010.4.12)