初午の日に

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 屋敷神の祭りは、実際にどのように行われているのだろうか。ここでは小川町のある稲荷を例に紹介する。
 図7-11は、小川町のある家で祀られている稲荷の祭りの写真である。二月十一日の初午の祭りでは、近所の十戸ほどの人たちも集まる。彼らのなかにももちろん家で稲荷を祀っている人がいて、彼らは自分たちの稲荷の祭りを午前中に済ませた後、正午ごろになってからこの稲荷に集まる。

図7-11
初午の祭り 小川町(2009.2.11)


 彼らが言うには、稲荷は一般的にいって商売繁盛の神様であるが、特にこの稲荷の場合はカサモリ稲荷といって、疱瘡の神様として信仰されているのだという。戦前は所沢からも参拝者がやって来て、稲荷の前の野道(畑を貫く南北の道)が参道代わりになり、そこに茶店が出て、行列ができるほど賑わっていた。この稲荷の世話人ではない人たちもお参りに来ていて、近所から五十戸くらいの人を集めていた。
 戦後はかつてのような賑わいはなくなったというが、今なお熱心に祭りは続いている。この稲荷には須恵器の稲荷や幟がたくさん奉納され、信仰が盛んであることがうかがえる。現在の社殿は、今から十五年ほど前に新調したが、その時以来、神主(小平神明宮宮司)を招いて神事を行うようなったという。
 初午の祭りでは、通常の神事の供え物のほか、赤飯、めざしが供えられる。社殿に供えられている赤い御幣は、正月前に小平神明宮から配られるものである。神事終了後、直会をしてみんなで飲食を楽しむ。また、都合がつけば小川よ組囃子を呼んで演奏してもらうこともある。