市域南部の農家で

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 上水南町のある農家では、先代が行ってきた家の行事を今でも大切に続けている。ここの家の行事はおもに主人の妻が取り仕切っているが、彼女はわざわざ行事のやり方をメモに書きとめて、次の世代への備えとしている。かつて彼女が病気をした際、自分がいなくなっては次の世代の者はやり方がわからず行事は廃れてしまうだろうと気がかりになり、メモを書き残したのだという。そのメモを見ると、今では行わなくなった行事も含まれていて、この家が行ってきた一年の行事の概要をよく知ることができる。それを以下に転載して、小平の一般的な農家がかつて行ってきた一年の行事を把握してみよう。なお、転載にあたり、ご家族の手で加筆修正を行った箇所もある。
一月
元旦年男が初水を汲み、神棚と仏様(仏壇)にお神酒を上げ、お供えを上げる。お雑煮を食べる。
稲荷様で神主さんが来て元旦祭をする。
一日~六日までくらいお雑煮を食べる。
七日七草粥(人参、牛蒡、大根、ナズナ、ほうれん草、小松菜、白菜、油揚げなど)。
昼は手打ちのうどんを食べる。
十四日繭玉 方位を見て恵方(空の方)より樫の枝などを切り、団子とミカンを挿す。これは蚕の神様のお祝。けんちん汁を食べる。
十五日成人の日 おしら様 小豆のご飯、朝、繭玉をかいかき棒に二個差し上げる。
二十日エビス講 えびす様は欲深いので、鯛、カレイ、金目鯛など尾頭付き二匹上げ、朝はお雑煮、昼は手打ちのうどんを山積みに上げる。
二月
一日次郎の朔日 小豆のご飯。午後から休み。昼は手打ちのうどん。昔は休みがなかったので。
三日節分 年取り 夜は白いご飯にけんちん汁。午後三時頃から海岸寺の節分祭に行く。その年に当たった人が年男になり、豆撒きをする。
十九日建国記念日 本来十一日だが、このむらでは十九日に記念祭をする。当日の朝、家の稲荷様の前で火を焚いて油揚げ、めざしなどを焼き、赤飯と一緒に上げる。これを稲荷講ともいう。
三月
一日餅搗き 三日の雛祭りの赤、青、白の三色餅で、終りに大福を作る。
三日雛祭り 白酒、三角の菱餅を上げる。女の節句。お雑煮
十八日十八日から二十四日まで一週間お彼岸。入りは各自いろいろの物を上げ、中日はぼた餅。明けは団子を作り、先祖様をお祭りする。
四月
八日お花祭り お釈迦様 三時起きに草もちを作る。昼は手打ちのうどん。
十五日八日と同じで午後はお休み。
五月
五日・六日端午の節句 子供の日 男の子の節句 朝、柏餅を作る。昔は三時起き。
五月の中旬から梨の粒落とし。
六月
五月末頃から昔はサツマイモの苗植え。お茶摘みお茶作り。六月に入ってから麦刈り、養蚕でとても忙しかったが、今はそれがなくなり大変楽になった。しかし、梨の管理やキュウリ、ナス、カボチャの植え付けもあるので、今でも暇な時はない。
七月
七日七夕様 昔から竹の笹に色紙でお飾りを作り、お祝をした。
十五日天王様でお休み。昔は遊び日といった。ところによりお盆。東京のお盆とこのあたりでは言う。
二十日すもも祭り 府中の大国魂神社で家内安全のカラス団扇を買ってくる。海岸寺では作りバツといい、畑で穫れた野菜などを先祖様にお供えする。ボンコともいう。朝、大福を作って食べ、午後は休み。土用の入りに餅を食べるとハラワタになるといった。昔はいつも麦のご飯を食べていたので御馳走だった。
三十一日お盆様飾りをする。チガヤを縄に綯い、飾り付ける。竹四本立ててスイカ、カボチャ、トマト、キュウリ、ナス、トウモロコシなどを上げる。
夕方、松明、麦ガラを束にしたものに火を点けて、錠口、この辺りでは五日市街道までお盆様迎えをする。玄関にバケツに水を汲んでおく。白いご飯に野菜の煮付け、キュウリもみなど、味噌汁と食べる。
八月
一日から三日までお盆でお休み。朝、茹で饅頭か蒸し饅頭、昼は手打ちのうどん、一日はお寺さん(坊さん)が棚経。ご先祖様にお経を上げていく。
三日夕方、お盆の送り日
十五日終戦記念日 朝、饅頭、昼、手打ちのうどん。午後は休み。
一日と十五日は午後からお休みとした。
九月
一日震災記念日 朝、饅頭を作り、昼は手打ちのうどん。
十五日十五夜 十五日でもよいが、暦の上で満月にする。ぼた餅、お団子、丸い物、大きい箕の中に畑で獲れたサツマイモ、里芋、人参、梨、柿、ブドウ、あればミカンなどを上げる。一升瓶にススキ五本くらい入れ、灯明を上げて祝う。(ぼた餅なら五個、お団子なら一五個。昔、子供の頃はお月見に上げたものを頂いて歩いた。)
二十二日この日に近い土日、秋のお祭り。堀野中稲荷神社大祭。十四日十五日か十六日十七日に神輿が出て、上水南町を一周する。
昔からの本祭り。神主さんが来て祝詞を上げる。お供え、海菜山菜を上げる。魚、野菜、果物など。お祭りの御馳走は、朝、赤飯、煮しめ、昼は手打ちのうどん。
二十日から二十六日までお彼岸。秋分の日。春の彼岸と同じ中日にぼた餅、翌日団子。
十月
八日えのこのぼた餅 大根がよく育ち、首を出すようにぼた餅を作って祝った。
十三日十三夜 十五夜と同じ月の満月でもよし。日の十三日でもよい。上げる物は十五夜と同じ。その頃は栗もできあがるので上げる。
三十日オカマの団子 神様が出雲の大社に泊まりに行く。オカマサマは三十六人の子供がいるので団子三十六個と馬方の分二個の計三十八個を土産に一升枡に南天の葉を敷き、その上に団子を入れてオカマサマに上げ、手打ちのうどんを上げて灯明を上げる。
十一月
十五日この日はオカマの中帰り。夜、手打ちのうどんを上げ、灯明を上げる。
十五日は、昔は七五三の祝いだったが、今は十五日に近い土日に行うようになった。今年は十二日の日曜日に稲荷神社で上水南町だけ十九名もあり、十一時から神主さんが来て盛大に行われた。
二十日エビス講 小豆のご飯を山盛りにして上げる。
二十三日勤労感謝の日 秋に収穫した五穀を神様に供える。
三十日オカマの帰り 夜、手打ちのうどん、お灯明を上げる。
十二月
二十二日冬至 ゆず湯に入る。
二十八日お正月の餅搗き 神様仏様に上げる。お供えも作り、大福など作る。
三十日神棚に新しい注連縄や神飾り、塩、榊を上げ、新しい年を迎える準備をする。一夜飾りにならないようにする。
三十一日夜一二時の除夜の鐘と同時に稲荷神社では火を燃やし、神輿愛好会の人たちがお酒、けんちん汁、餅などを参拝客に振舞う。新年が最高の年になりますようにと年々お詣りに来る人が増えている。

 このほかに毎年一月、五月、九月の二十八日はお不動様の日となっている。
 かつては粉、薪など各自持ち寄り当番の家で手打ちのうどんを作り、部落の人たちのお日待があった。代参の人は二十五日頃、成田の不動様に行き、人数分だけの御札を買ってきておいた。会費は寺で百、二百、三百円くらいだった。今はこういうこともだんだん無くなってきた。女の人も念仏の練習があったが、ここ一、二年お休みとなってしまった。