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 小平の盆は、同じ市内でも地域や時代によって行われる時期が異なっている。例えば、現在、旧小川村や旧鈴木新田の地域では七月三十一日~八月二日、旧小川新田や旧野中新田(青梅街道沿い)の地域では八月十三日~十五日といった具合である。これは、かつて農家は養蚕をしていて忙しかったため、都合の良い時期に盆をしていたからであるといわれている。小川町出身で現在は仲町に暮らすある女性(大正十三年生まれ)の話によると、子どもの頃は九月一日に盆をしていたが、成人したころには八月一日に変わっていて、仲町の家に嫁入りしたら、そこでは八月十五日にしていたという。
 盆のやり方は、家のなかに仏壇とは別に盆棚(ぼんだな)というものを組み立ててそこに先祖を迎え、三日間お供え物をあげてから送り、その後菩提寺の施餓鬼法要に参る、というかたちをとる。盆棚は木の角材をチガヤで結んで枠を組み立て、その周りを掛け軸で覆って作る。そして、提灯を吊るし、棚の上には位牌、ナスとキュウリで作った牛と馬、食べ物と水などを供える。だいたいどこの家でもこうしたかたちで盆を迎えているが、それでも家によって少しずつ違いがみられる。一例として仲町のある家の盆についてみていこう。
 図7-15はこの家の盆棚である。この盆棚の寸法は、高さ約百八十センチ、幅約百センチ、奥行き約七十六センチで、下から棚までの高さが約八十四センチである。棚の下には何もない。小平の盆棚のなかには、子どものうちに亡くなった人の位牌(無縁仏)を置くという家もあるが、この家では無縁仏を祀るということは聞いたことがないという。十三仏が描かれた掛け軸が七幅あるが、これらは婦人会や自治会の旅行で善光寺や永平寺に行ったときに買ってきたものである。掛け仏は風に煽られて破けてしまうので、機会があるときに買い足すのだという。棚の上には位牌、香炉、お鈴、ナスとキュウリで作った牛と馬、水とそれを振り掛けるためのミズハギを置いている。牛と馬には生うどんを掛けて、手綱に見立てている。
図7-15
図7-15
盆棚 仲町(2009.8.14)

 八月十三日はご先祖様を迎える日で、ご先祖様をお寺の方角から線香に乗せてお迎えする。夕方六時ごろになると家族や親戚十五人くらいが集まり、各自二~三本ずつ線香を持って、寺の方角に位置する隣家との境に線香を置き、各自一本だけ持って帰る。十四日の朝には饅頭を作って、盆棚に供える。十五日は送る日で、夜十一時前後に線香を一人一本、それから飾ってあった牛・馬も持って再び隣の家の境まで送りに行く。牛や馬はそのまま路上に放っておく。十六日の午前中は菩提寺でお施餓鬼の行事をする。
 以上が仲町のある家の盆のやり方であるが、昭和三十年代半ばまでは先祖を迎えるときは青梅街道で小さい松明(たいまつ)を振っていたという。この所作は、小平のほかの地域でもかつてはしていたらしく、小川町では小川寺で振るように変更している。また、寺院でのお施餓鬼は、檀家が住む地域の盆の後に行うようにしている。お施餓鬼では檀家は塔婆をいただいて、自分の家の墓に立てる。
 家に不幸があってから初めて迎える盆を、小平ではニイボン(新盆)と呼んでいる。ニイボンの場合は、家の軒先に白い提灯をぶら下げたので、昔はどの家がニイボンかすぐにわかったという。