変容と解体

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 小平市の旧農村部の社会組織は、この五十年のうちに、かなりの変容をみている。これは単に地域内のつながりが弱くなっていったということではなく、受け継がれていくつながりがはっきりと浮き彫りにされてきたということになろう。後述するように、都市化、宅地化の波のなかで、葬儀にかかわる互助組織やいく種類かの講は現役の習俗として地域で今も受け継がれているからである。
 しかしまた一方で、往時の社会組織を総括的に探ることが困難であることも事実である。かつてのそうした地域のありかたを把握、確認するのに最もすぐれた資料は、半世紀前に編まれた『小平町誌』になろう。これにはこの半世紀以前の地域社会の様子が詳述されているのだが、この地域内の社会組織についての記述は、現在の調査ではこれを超えることは難しいように思える。その『小平町誌』に、小川村開拓の祖であり、またこの村の名主であった小川家について「近隣仲間に属するというより、全村民との上下関係で直接結ばれていた。明治維新まで毎年正月には全村民が新年のあいさつに伺い、白米やあわ・大麦・小麦を献ずるのがならわしになっていた。また名主の家の修築や屋根替えは全村民の協同労働によって行なわれた。」との記述があるが、現在こうしたことは口碑としても伝わっていないようである。
 この節では、基本的に『小平町誌』の内容に依りつつ、この三年間の調査の知見を随時追加する形をとって述べていくことにする。もっともここでいう「往時」あるいは「かつて」とは、必ずしも開拓当初からのありかたを指しているものではない。ことに自治的な互助組織は、時の流れとともに成熟し形を変えていくことは充分あり得る。「往時」、「かつて」とは、今から振り返った時に把握でき得る時代、そしてその習俗の旧態といった意味であることを付記しておきたい。