「縁の下のクモの巣までお前のものになるんだから」、昭和二十年に市の南西部の農家の長男に生まれた男性は、幼少時に母親からこうさとされ、長男として育ったという。次男以下の男の子は、いずれ家を出て自分で働き口を探すのが当たり前の世界であった。戦前、小平で尋常(じんじょう)小学校を出ると、近隣の農家の作代として働く者もいたが、伝手(つて)を頼って吉祥寺、三鷹、杉並方面の商店に住み込みで働きにも出ていた。
本家の短冊状土地割りの一角に小さな家を建ててもらっての分家もあったようだが、これはいわゆる本戸(ほんこ)というむらうちで公的に認められた一戸前の家とは認められない場合が多かった。家督を継いだ兄の家に同居して独身でいる弟や妹は、オンジ、オンバと呼ばれ地域のなかでは少しさげすまれる存在でもあったという。
図8-15 正月のしめなわつくり。かつては戸主や長男がつくった。小平は水田に乏しいため陸稲を用いることも多かった 小川町(2009.12) |