受け継がれる出初式

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表8-5 大正七年当時の小平村消防組の人員と器具
区域人員(カッコ内は定員)器具
小頭消防手腕用喞筒雲龍水高張提灯弓張提灯竹梯子手桶鳶口運搬車屋根鐶刺扠手鎌
第一部小川一部5(5)48(50)122121105111
第二部小川一部3(3)22(25)1151104111
第三部小川一部4(4)35(45)11115111
第四部小川一部4(4)35(39)11419611
第五部小川一部4(4)34(37)117110311
第六部小川一部4(4)34(45)111115111
第八部小川一部3(3)26(37)11101103111
第九部小川新田一部3(5)36(50)1271104211
第十部小川新田一部3(5)42(55)1218120112121
第十三部野中新田一部6(7)55(65)111811511121
第十四部鈴木新田一部9(9)74(85)213022022
第十六部回田新田4(4)26(29)1123120721211
第十八部野中新田一部3(3)30(32)1111115521515
*「会議録」(大正7年、小平村役場)〔『小平市史料集  近現代編  第一集  小平村議会会議録(上巻)』2010年、小平市史編さん委員会、所収〕より作成
*第七、十一、十二、十五、十七部の記載なし。なお、各々定められた場所に器具の置場と火ノ見梯子を備えている

図8-16
図8-16
小川寺の前の火の見やぐらと消防機具の倉庫(2009・11)

 小平に消防に関するはっきりした組織ができたのは明治二十二年(一八八九)、小平村が成立した頃になるらしい。これは小川、小川新田、大沼田新田、野中新田、廻り田新田といった旧村を単位とする消防組から成っていた。明治二十七年(一八九四)九月作成の回田の「消防組合規約書」(斉藤家文書G-61)によれば、その総数二十七名で、組頭、副役、小頭、副小頭、鳶掛り、口取、補助という役員をおき、役員は投票により決め、任期は一年となっている。それ以前の消防組織については不明である。この消防組は当初十七の部に区分されていたが、大正三年(一九一四)には十九部となった。その構成は旧村を大きな単位として、さらにそのなかにあった組をくみ合わせて部となしていたという。このシステムは原則として、市制が施かれるまで続いている。これには、二十歳以上の男子が、一家からひとりは出ることとされていた。
 現在、この組織は小平市消防団として再編成され、九分団、百五十人ほどの人員で構成されていて、基本的には入団は希望者としている。戦時中は消火活動のほかに、治安維持や空襲時の対応などが含まれていた任務も、昭和二十二年四月公布の消防団令により、本来の消防業務と台風時などの災害対応が中心となっている。
 現在、一月半ばに出初式(でぞめしき)を行っているが(図8-18)、これは戦前から行っている行事であり、かつては小平第一中学校で、ついで市役所前広場や福祉会館前で、現在は花小金井駅前でと、その場所を変えて引き継がれている。

図8-18
一月、花小金井駅前での出初式(2010.1.9)