変化のパターン

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図9-6
青梅街道沿いの景観変化の例。本文参照 市域中央部(2011.6)


 図9-6は、市の中央部よりやや東寄りの青梅街道沿いの風景である。中央に大きな道が写真の奥へと抜けており、その両側に家屋A、Bがある。かつてはこのAとBと中央に抜ける広い道は、かつて合わせて一軒の家の土地割りの間口の幅であった。一軒の家の短冊状土地割りのほぼ中央を幅十六メートルほどの道路が土地割りと並行につけられたため、もとの土地がその両側に細く残った。道のために買収された面積は二千百坪、七反ほどのことだという。多かれ少なかれ、都市化、宅地化はこうした景観を生みだしていくのだが、こうした変容は形のうえでは、いくつかのパターンに分けられよう。
 まず、一軒の短冊状土地割りのなかを、一戸建ての住宅が二列か三列で並んで増えている形がある。これはもとの農地が宅地でおおわれていっても、あくまで従来の土地割りの線を踏襲し、そのなかでの土地利用の変化になる(図9-7)。
図9-7
図9-7
aが青梅街道、bは用水。街道沿いの短冊割りの土地の末端(図の下部)から分筆され住宅化がすすんでいる。住宅内の道には自動車通行のため角切りがなされている。実線は地番の違いを示し、点線は同一地番内の分筆線を示す。本文参照(小平市の現行の小川町の土地台帳付属地図より作成)

 次いで、いく筋かの短冊状土地割りをまたぐ形で土地買収がなされ、そこに大きな建物が建てられ変わっていくパターンがある。これも学校や大規模な諸施設の進出が著しい小平では、よく目にする光景になる。大規模な土地買収によって従来の土地割りの線は塗りかえられていくのだが、もとからの家がそこに残っているかぎり、同家の土地はその家から離れた場所から売られていくことが多いため、家付近にはもとの土地割りが残っており、その変化の復元は容易である。図9-8は小平市役所を例にとったその様子である。かつての開拓地割をまたぐ形で市役所が建っていることになる。
図9-8
図9-8
右下写真の矢印は小平市役所。aが青梅街道。この一帯の現行の地割は左上の図。同図中a青梅街道、bが用水、cが市役所の建物の敷地。この現行の地割の線の旧態復元推定図が右上の図になる。四つの短冊割土地の南の部分を合筆した土地の上に市役所が建てられたことが類推できる

 さらに、従来の地割りのほとんどを残しつつも、その上に線路や道が敷かれて景観が変わっていく例も市内には広く見られる。ことに西武拝島線の場合は線路の北では従来の土地割りが塗りかわるように消されて開発が進んでおり、線路自体が宅地化の進展のひとつの境界ともなっている。

図9-9

 塗りかえられていく景観。小川町西部。aが青梅街道。bは明暦2年(1656)開創の小川寺。cは昭和36年開校の武蔵野美術大学、dは近年すすめられた区画整理事業による区割り。cとdによってかつての土地割が変わっていく(2011.2)

 そしてこれらのパターンの様々な組み合わせの上に現在の小平市の景観の多くは成っている。それはそのまま都市化、宅地化というあゆみのいわば地層的な累積としてみることもできよう。