イベントをうつ

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 昭和三十六年に五百四十人の会員、十の支部で発足した小平商工会は、平成二十二年現在の会員数は千九百七十二人ほどであり、最盛期の平成二年の三千百四十一人から大きく減少している。ただし商店の商工会加盟率は五割余りで、加盟していない店もこの同数近くある。市内のいくつかの商店街を歩いてみると、シャッターの降りている店があちこちにあることはすぐに気づく。後継者がいる店は決して多くはない。また、現在続いている店は、物品販売よりも飲食関係の店舗が多い傾向にある。チェーン店の系列店が増えていることも指摘できよう。
 この節では、あくまで個人経営の商店を中心に、そのありさまを述べていきたい。その初代の店主は、小平の外から来て住みついた人が多いにしても、この人たちは自分の生業を営みつつ、住みついた土地に祭りを創出し、根付かせていこうという姿勢をもちつづけてきたからである。その新たに起こされた祭りが、民俗学的に見ての神事を含んだものでなく、いわゆるイベントとして位置づけられ、また商業的意図をあわせもっているものであれ、そうした意志はこの数十年間持続されてきた。創出された個々の祭りは必ずしも永続性を強くもつものばかりとは言えないが、常になんらかの祭りを創出し続けようという意志自体は絶えることがなかった。
図9-12
図9-12
商店街案内 花小金井(2010.4)

 こうした祭りは、当初は盆踊りや子どもみこしの練り歩きとして企画された例が多いようだが、最近はサンバカーニバルやねぶたまつりをはじめ多岐にわたり、後述するようにそのきっかけは偶然性によるものもまた多い。一部を自治体からのそうした助成金に頼っているとはいえ、企画、折衝からその日の警備にいたるまで、商店側の負担は小さなものではない。そこでの人手がどれほどの売上増、顧客増として反映しているのか判然としない場合も少なくないのだが、今日もそうした企ては模索され続けられている。なお、以下の文章で、商業集落を指す場合は商店街という言葉を、商店の組織を指す場合は商店会という言葉を使うことにする。