盆踊りの定着

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 西武多摩湖線一橋学園駅の東と西には商店街が広がっている。西側の商店街の盆踊りも五十年近い歴史をもつという。当初は有志で始められ、駐車場で行っていたが、のちに商店街のロータリーで通行止めをして行うようになった。盆の時期にひとつの場所に地域の人たちが集って踊るという形の行事は、小平の旧農村部にはなかったものである。昭和三十年代になって農村部にも定着していったようだが、いずれにしても小平では、旧来の住民の間にも新しい住民の間にも等しく広がっていった盆の行事ということになる。
 昭和四十一年まで、現在の一橋学園駅から六十メートルほど南のこのロータリーのところに駅があり、当時はその付近に不動産屋、煙草屋、雀荘兼ラーメン屋、パン屋などが散在する程度の地域だった。店の業種が少し他の商店街の草創期と違うのは、このロータリー(当時はこれもなく単なるT字路)の突きあたりに一橋大学小平分校があり、千五百人を越す学生、教職員を相手にする町だったからである。やがて駅は少し北に移され、周囲に住宅やマンションがふえていき、新しく移った駅のまわりにも商店がふえていった。
 この西の地区の商店会の加入店は、バブル時期頃が最も多く八十三軒であり、現在は六十七軒に減ったという。平成八年に一橋大学小平分校は国立市の本校に統合され、そのあとに別の教育研究組織が移ってきたが、それ以前の時代にくらべ、そこに出入りする人の数は大きく減った。むしろマンションの増加により、商店街をとりまく居住人口がはるかに増え一般的な商店街の性格を強くして今日にいたっている。この地域の盆踊りは、そうした推移のなかで、商店の人たちによって維持されてきた。
 なお、この西側の商店街の一角はかつての小川新田であり、北部は旧小川村となる。前者の氏神社は熊野宮であり、後者は小平神明宮となる。この地域には、九月と十一月になると隔年でふたつの社のみこしが交互にまわってくる。かつての氏子圏や旧村域とは無縁な形で生まれ広がった商業集落がこうした性格をもつことは前述した鈴天商店街と同様である。