ふとん店開業

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 この商店街から西武多摩湖線の線路を越した東側にも商業集落が広がっており、ここはふたつの地区商店街から成っている。駅から少し離れた地区を学園坂商店会といい、これには八十ほどの店舗が加盟している。駅寄りの商店街にくらべると、後発の商店街になる。この一角でふとん店を営んでいる方にうかがった話をもとに、ここのあゆみを述べてみたい。
 このふとん店がこの地に店をひらいたのは昭和四十二年のことになる。店舗周辺は、二十二、三軒分ほど、店舗仕様として土地を仕切って売りにでていた。その店主は開く店の場所をさがしていた折、たまたまここを通りかかり選んだ。この一角は、かつて高名な彫刻家の土地であり、その彫刻家の死後、遺族が手放したものだという。昭和五十年頃には、この分譲地を買って入居する店が一気に増え、二十軒余りの店舗が並ぶにいたった。現在店舗数は六十ほどであるが、その当時からの生え抜きは一割ほどであり、六十余の店舗のなかで、後を継ぐ世代がいる店は、やはり一割ほどであるという。
 開店当初、ふとんはよく売れた。その頃はまだ、新生活運動のかけ声のもと、暮らしを合理的に、また清潔にしていこうという気運がのこっていて、それにのって販売は好調だった。ふとん店は九月から四か月で元をとる商売といわれており、この季節はよく売れた。逆に春から夏にかけては、寝茣蓙(ねござ)や蚊帳(かや)がそこそこ売れる程度だったという。当時、問屋は日本橋にあり、そこに商品を取りに行くため、ふとん店は荷台の大きな車を備える必要があったが、現在は問屋が郊外の倉庫から配送してくれるように変わった。昭和の時代までは、問屋への支払いも、盆暮れ払いの慣行が残っていたという。
 現在、この商店街では、年に数回のイベントを行っている。七月にサンバカーニバル、十月に青森ねぶた、もうひとつは年によってエイサーになったり、ストリートギャラリーになったりしている。この地域のこうしたイベントについては第六章三節でふれているが、「なにかやりたかったらこの場所を貸します。警備もだします」と呼びかけ、「ここで大騒ぎしたら寄付をだしてくれるひともそこそこいます。まずやってみよう」という姿勢で進めてきたという。人が集まることで商店街は活気づく。そうした発想で、間口広く様々な企画を試みて動く店の姿をそこにみるが、それは小平市内の多くの商店街においてこれまで共通してみられる姿勢でもある。
図9-14
図9-14
正月を迎える飾りつけ。学園坂の商店街(2010.12)

 ここで登場するサンバカーニバルにしても、最も大きな規模で行っているのは花小金井の商店街であろう。この商店街は昭和五十年から阿波踊り大会を実施している。「花小金井商栄会ニュース」第三号(昭和五十三年九月)によれば「子供達に夏休みの楽しい思い出をプレゼントする為に武蔵野神社の秋季大祭を八月に繰り上げて、゛花小金井夏祭り″をはじめて十年余、今では西武線随一といわれる阿波踊り大会が奉納される様になりました。そして今年はその第四回目、子供の囃連や踊り連も出来」と記されている。これとても当初は「子供がなかなか集まらず、ようやく二十名足らずの子供に、お金を出してその場を過ごした時もありました。(中略)本年は百五十名を越える大勢の子供が集」まった旨記されており、当時銀行や信用金庫、大型スーパーマーケットの花小金井支店からも数十名単位で参加している。