小川西町の銭湯の開業は昭和二十四年であり、これはその近くにでき始めた住宅の住民の要望に応ずる形での開業であったといわれているが、当初の経営者は同二十八年にこれを売り払い他へ出たため詳細は不明である。そこをいわゆる居ぬき-設備ごとの購入-のかたちで入ったのが、現在の経営者の先代になる。
津田町の銭湯も、現在の経営者で二代目であり、初代の開業はやはり昭和二十八年であるが、ここは銭湯施設そのものを借りる形での開業であり、やはりそれ以前から銭湯があったことになろう。この銭湯の場合は、客は住宅住民のみでなく、大学が近いことから、かつては下宿している学生の利用者も多かった。
東京の銭湯経営者や従業員は新潟県出身者が多いことはよく知られているが、この二軒の銭湯の初代も同県の出身であるという。小川西町の銭湯の場合は、初代経営者は新潟から出てきて、品川で「預り」といって家賃を払うかたちで銭湯を開いていたが、戦災にあい一旦廃業し、小平に来て再び開業した。戦前、東京には二千八百軒ほどの銭湯があり、そのうち約四百軒が戦災によって営業不能になったといわれている。そのうちの一軒ということになろう。津田町の銭湯の場合は、大宮(埼玉県)で開業していたが、やはり小平に移ってきたという。
昭和二十八年当時、小川駅近くにある銭湯のまわりにはすこしずつ住宅が建てられてはいたが、まだ雑木林が広がっており、そこでは炭を焼く人の姿も見られ、夜は林の暗がりでおいはぎがでることもあったという。しかしそれからすぐに住宅が増えていき、銭湯の利用者も急増した。この頃の入浴料は大人が十二円だった。
現在、ここは二代目の経営者になっているが、その方によると、銭湯が切実に必要とされていた時代とそうでなくなった時代との境は昭和四十五年頃ではなかったかという。当初は風呂が備えられていないのが普通だった住宅に風呂が備えられ、またはじめから風呂付きの住宅が増えていくと、銭湯の需要は減っていくことになる。ただ、それでも客の減少があきらかにあらわれてくるのは昭和六十年頃からだという。前述した統計上の動きと一致する。客足が減っても昔からの利用者が通い続けてくれるうちは、なかなか銭湯を閉める決断はしづらいものでもある。
表9-2 小平の主要な住宅の増加のようす(『小平事始め年表・索引(稿)』より作成) | |||
年月 | 住宅名 | 所在地 | 戸数・世帯数 |
1948(昭23).7 | 第1都住 | 鷹の台 | 19 |
1948(昭23).8 | 第2都住 | 小川坂北 | 23 |
1949(昭24).7 | 第3都営住宅 | 上水南町517 | 6 |
1949(昭24).8 | 第4都営住宅 | 大沼田一丁目136.140 | 87 |
1949(昭24).10 | 第5都営住宅 | 小川東町2074 | 34 |
1950(昭25).6 | 第6都営住宅 | 小川西町1248 | 50 |
1950(昭25).6 | 第7都営住宅 | 学園西町1248 | 13 |
1950(昭25).7 | 第8都営住宅 | 学園西町1584 | 93 |
1950(昭25).7 | 第9都営住宅 | 小川東町2074 | 54 |
1952(昭27).5 | 第10都営住宅 | 小川西町2433 | 11 |
1953(昭28).8 | 第11都営住宅 | 津田町1561 | 189 |
1954(昭29).5 | 第12都営住宅 | 学園西町1586、1598、1599 | 32 |
1954(昭29).9 | 第13都営住宅 | 津田町1538 | 12 |
1955(昭30).8 | 第14都住 | 小川2217 | 30 |
1955(昭30).9 | 花小金井分譲住宅 | 野中与組807 | 30 |
1955(昭30).9 | 都住 | 野中与組807 | 27 |
1955(昭30).10 | 都住 | 小川1476 | 27 |
1955(昭30).10 | 小平駅分譲住宅 | 大沼田新田305 | 18 |
1955(昭30).10 | 第15都住 | 野中新田与組806 | 8 |
1956(昭31).2 | 第16都住 | 小川1561 | 8 |
1956(昭31).3 | 第17都住 | 大沼田新田300 | 44 |
1956(昭31).3 | 第18都住 | 大沼田新田300 | 46 |
1956(昭31).6 | 都住 | 小川1392 | 27 |
1956(昭31).6 | 都住 | 上鈴木1683 | 12 |
1956(昭31).7 | 第19都住 | 小川新田509 | 41 |
1956(昭31).9 | 第20都住 | 小川2213 | 24 |
1956(昭31).10 | 都住 | 小川1815 | 80 |
1956(昭31).12 | 都住 | 鈴木新田772 | 71 |
1956(昭31).12 | 都住 | 小川鷹野街道外 | 32 |
1957(昭32).3 | 第21都住 | 大沼田東京道北 | 38 |
1957(昭32).3 | 第23都住 | 小平学園東区 | 26 |
1957(昭32).3 | 第24都住 | 上鈴木 | 22 |
1957(昭32).3 | 都住 | 大沼田東京道南 | 52 |
1957(昭32).8 | 都住 | 小川新田北 | 40 |
1957(昭32).8 | 都住 | 野中新田与組354 | 89 |
1957(昭32).8 | 都住 | 野中新田与組396 | 64 |
1957(昭32).9 | 第27都住 | 小川新田南 | 39 |
1957(昭32).9 | 都住 | 大沼田東京道南 | 26 |
1957(昭32).11 | 第25都住 | 小川中宿 | 82 |
1957(昭32).11 | 第26都住 | 小川中宿 | 34 |
1957(昭32).11 | 第28都住 | 鈴木新田 | 36 |
1957(昭32).11 | 都住 | 野中新田与組276 | 48 |
1957(昭32).11 | 都住 | 小川鷹の街道外1562 | 183 |
1957(昭32).11 | 都住 | 大沼田新田東京道南182 | 78 |
1958(昭33) | 第29都住 | 小川中宿 | 61 |
1958(昭34) | 小平第30都営住宅 | 小川西町 | 32 |
1958(昭34) | 小平第31都営住宅 | 大沼町 | 16 |
1958(昭34) | 小平第32都営住宅 | 花小金井 | 24 |
1958(昭34) | 第4大沼田新田都営住宅 | 花小金井 | 305 |
1959(昭34) | 防衛庁住宅(公舎) | 鈴木町 | 100 |
1959(昭34) | 小川中宿都営住宅 | 小川西町 | 233 |
1959(昭34) | 小平第33都営住宅 | 小川東町 | 200 |
1959(昭34~35年) | ブリヂストンタイヤ社宅(アパート) | 小川東町 | 558 |
1959(昭34~36年) | 日立電子社宅(アパート5棟) | 回田町 | 70 |
1960(昭35) | 小平第34都営住宅 | 上水南町 | 68 |
1960(昭35) | 農薬検査所住宅(公舎) | 鈴木町 | 30 |
1960(昭35~36年) | 野中第1号団地 | 花小金井 | 100 |
1960(昭35~37年) | 日立社宅(アパート)31棟 | 上水本町 | 135 |
1961(昭36) | 帝人社宅(アパート)3棟 | 鈴木町 | 72 |
1961(昭36) | 花小金井団地(アパート) | 花小金井 | 82 |
1961(昭36) | 電々公社々宅(アパート) | 鈴木町 | |
1962(昭37) | 電々公社々宅(アパート) | 花小金井 | |
1962(昭37) | 住宅公団住宅(アパート)3棟 | 花小金井 | 92 |
1962(昭37) | 武蔵野団地 | 鈴木町 | 66 |
1962(昭37) | 防衛庁住宅(公舎) | 小川町 | 40 |
1962(昭37) | 労働省住宅(公舎) | 小川西町 | 65 |
*年月は建設もしくは完成年次を示す。 |