農地転用と相続

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 こうした農地が、平成二十二年の時点で、小平には百九十四ヘクタールほどあり、そこで三百六十八戸の家が農業を営んでいる。高度経済成長期のさなか、昭和三十五年には八百十一ヘクタールほどの農地があったので、ここ半世紀の間に面積は四分の一以下にまで減少したことになる。農家数も徐々に少なくなっており、昭和三十五年には八百八十三戸を数えているが、前述のとおり平成二十二年には三百六十八戸となった(表10-1)。とくに農家数・農地面積ともに、昭和三十~四十年代にかけての落ち込みが目立つ。街道沿いに建っている屋敷の後背に、短冊状に耕地をかかえる農家が多い小平では、母屋から遠い位置にあった雑木林や畑から農地転用が進んだ。畑を売るとその分収入も減ることから、まず雑木林、それから畑といった順番に売られていったという。
表10-1 農家数と経営耕地面積の推移
単位  戸、ha
農家数総面積一戸当面積
1960(昭和35)8838110.91
1965(昭和40)7685900.76
1970(昭和45)6974970.71
1975(昭和50)6353950.62
1980(昭和55)5773520.61
1985(昭和60)5443220.59
1990(平成2)5022960.58
1995(平成7)4452600.58
2000(平成12)4342420.55
2005(平成17)4022040.50
2010(平成22)3681940.52
出典:農(林)業センサス

 農地の転用によって宅地化が進んでいく際の、土地の買収をめぐる農家の実感は第一章と第二章でも紹介されているが、その時に農業を継続することを選んだ家々は、土地の価値の変化を通して社会変化を感じ取りながらも、農地の交換-ジコウカンといわれる。単純に同じ面積の農地を交換する場合はスドッカエともいった-による農作業の効率化をはじめ、農家経営の工夫を重ねてきた。こうした形で現在まで農業を続けてきた家々が、農地を転用するかどうかの選択と再び向き合っている(図10-1・2)。背景には、地価の上昇とともに高額になった税金の存在がある。「相続があるといっぺん(に土地がなくなる)だもんね」と言われるように、相続税に対応するために農地を転用した話は、自身の体験として、あるいは他の家の出来事として、直接に間接によく耳にした話だった。

図10-1
宅地化によって区切られていく畑 小川町(2009.3)



図10-2
畑に接する形で家が建てられていく(2010.12)