畑の区画

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 道路(r)の南側には一町歩ほどの畑が拡がっている(図10-5)。道路(r)沿いにあたる畑の北端と、道を挟んで駐車場の南端とには、生垣としてマサキが植えられている。畑の西側の境界には石が置かれているが、かつてはウツギが植えられていた。図中にあるウツギはその名残である。一方東側の境界は、その一部がコンクリート塀になっているが、それ以前はCのあたりにニラが、Dのあたりに茶が植えられていたという。

図10-5

母屋の背後から畑に臨んで。一輪車と折り畳み椅子の横、ハラミチに沿ってニラが植えられている 仲町(2010.5)

 畑は、防風垣、また春先には収入源ともなった茶でいくつかの区画に分けられている。かつては春先に手作業でこの茶の新芽が摘まれていたが、後に、新芽の付け根ぎりぎりのところを鋏で刈るようになった。茶の芽の出が悪い年には、東西に延びる茶の垣の北向きの部分と南向きの部分で、芽の出に違いが生じることもあった。
 現在では、防風垣として成長しすぎないようにすることが、茶を刈ることの主目的であるが、平成二十一年に刈ったときは、生葉の製茶をお茶屋さんに依頼し、自家用として消費した。
 この家と同様に茶を残している畑は、現在も小平市内に点在している。これも防風のために残しているところが多いようで、茶が別の植物へと植え替えられた例も見られる。鈴木町のある家では、昭和四十年頃に茶からサワラへと替えられた(図10-6)。茶にはハダニが付くことも植え替えの理由のひとつであった。耕地を広く確保するために、サワラは可能な限り幅をつめて刈られている。
図10-6
図10-6
キャベツの右側にサワラの垣。刈りつめられている 鈴木町(2009.12)

 畑の防風垣は、樹種に加えて、数や位置も変化してきている。サワラを導入した同家では、もともとは一反間隔に垣があったが、植え替えとともに数が増え、一区画あたりの畑の面積は若干狭くなっている。一方、農作業の機械化にともなって垣を間引きすることで区画が大きくなった例もある。これはトラクターなどでの耕耘の際に障害物が少ない方が、切り返しが少なく効率的なためである。農業機械を用いた作業の効率を防風よりも優先したことは、宅地化にともなって風の強さが変わってきたこととも関係しているだろう。農家を悩ませた風(第一章「赤い烈風」)は現在もなくなったわけではないが、畑の周囲に建物が建つとともに、風はやわらいでいった。
 とはいえ、茶垣が現存しているように、現在も防風には気が配られており、畑の一部に風避けとしてジンジャーを植えたり、昭和の中頃まで小平の主要な作物のひとつであった麦を、畑の縁に列状に植える所もみられる。風が吹くとジンジャーはいい匂いがするという。