昭和三十五年の販売方法

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 引き売りのような、小平でみられる市場出荷以外の販売方法について、東京都農業試験場による調査結果を参考に、昭和三十五年頃の様子をみてみたい。
 当時、市場出荷以外の蔬菜の販売先は、商人への売却、消費者への直売、地元農協への売却の三つに大別され、とくに商人売却型が多かったという。商人への売却は「相場が一方的にきめられ、しかもこちらの思う価格よりは安く、売りたいと思う時にはうれず、代金の支払いが長引くこともあるが、販売労力が省けるので売却することにしている」といわれるように課題もあったが労力の面で利点があった。こうした形で商人へ販売された代表的な作物がゴボウである。
 ある家では、ゴボウを麦の畝間に作っていた。三月二十日頃に三寸間隔に種をまいたが、早く収穫するものは、間隔を四寸に調整した。五十アールほど作っていたゴボウの半分ほどは株間を四寸にしたものだった。このように収穫時期を早めた理由のひとつに、後作として麦を作ることが上げられる。麦の播種の時期とゴボウの作期が重ならないようにしたのである。

図10-27

ハリ (左H1076×W228)とゴボウマンガ(右手前H1064×W365)。三本鍬(右奥)とは柄の角度が異なり、ゴボウマンガは地面に突き刺しやすいように、角度が三本鍬よりもゆるくなっている 小川町(2009.3)

 ゴボウの収穫にはゴボウマンガとハリを使う(図10-27)。まずゴボウマンガである程度穴を掘るが、根が張っておりそれだけでは抜けない。そこでゴボウの周りにハリを刺して動かすことで土をゆるめ、根を切ってから、手で引き抜いた。雨が降った後は、土が水気を含んでおり、乾いている状態よりも引き抜きやすかったという。
 早い時期に収穫するゴボウは、他の作業との兼ね合いから家族だけで掘ることができないため、ホリコと呼ばれる人に掘りとりをお願いした。ホリコは一人一日一アールの掘りとりが標準とされた。収穫したゴボウを庭売りする場合、農家自らは、土落とし、毛むしり等を担当し、選別の上、重量をはかって売る。庭売りとは、収穫から荷造りまでを農家が行った後に、商人や消費者が農家のもとへ買いに訪れることをいう。ゴボウは、選別後に縄で結束される場合もあり、十アールあたり二巻程度の縄を必要とした。